11/26/2020

いつもの能書きです

いつもと違ったタイミングで投稿してみます。

当ブログ、今回のポストで88回目となります。あと何回かしたら、みちるリソースの"ご意見"は、違った媒体に投稿するようになるかもしれません。アクセス数僅少かつスーパーニッチな情報ながらも、定期的に購読してくださる方々もおり、変更することもないのですが。その理由は、"よくわからないアクセス"が定期的にあることと、言論の自由を希求しつつも、「おおっぴらに、胡散臭い情報を垂れ流すこと」の意義が薄れているなあと実感するからです。"時代"というヤツです。

実は、かつてもあったんですよね。なぜか、イスラエルから何千回とアクセスがあったり。もの凄い"胡散臭い国"経由でのアクセスが続いたり。まあ、某国の大統領のハナシをしたときに、アクセス数が劇的に減少したときは、図らずも「ほお」と感心したモノです。まあ、そもそも、政治関連のネタは絶対的に伸びないので、本当に不人気だったのかもしれませんが。

世の中、変わりますよね。ただ、不変であるのは、ヒトの感情の起伏と、それに付随した相場のトレンドです。「歴史は繰り返す」などと言ったモノですが、まさにそのようであります。今しがた、銅の相場は、トン当たり80万円を突き抜けております。今後、どのようになるのか。果たして、そんなことは、我々のようなシモジモの人間にわかりません。

ただ、明確なのは、山の頂にも現実的な限度があるように、いつかは下がるということです。確かに、この状況下であっても、中国という国は強大な需要を持ち合わせているのでしょう。一方で、いくつかの国営企業が経営破綻に陥ったり、黄銅棒の需要は彼の地でも伸び悩んでいるようなことを耳にします。「需要はあるけど、実態は"そこまで"でもない」ということは、彼の国と付き合う上で、常に頭に入れておかなければなりません。

当地でご商売なさっている大陸出身の方々も、近頃はかつてのような"勢い"がないと聞きます。当然ですよね。彼らに投資をしていた大陸マネーに、濁りがみえているわけですから。確かに、少し前までは、太陽光発電やら、家電雑品の破砕やら、色んなことに首を突っ込んでおられましたが、少なくとも、筆者の周りでは、音沙汰ありません。

米国でも、選挙に絡む両党の争いが激化して参りました。なにか、こちらに関連して、相場に変な刺激が加わらなければいいのですが。ただ、ひたすら相場が上がっていくと、これからチキンレースのようなせめぎ合いが始まります。販売単価が高くなるということは、新規での仕入単価も、それに追随して高くなるのが市場原理です。キャッシュを回す度に、ヒリヒリした思いをしながら、「いつまで続くんだろう」と自問する日々が続きます。

もしかしたら、低水準の相場で、ほどほどにボラティリティある環境が、いちばん経営環境としては、適切なのかもしれません。

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11/24/2020

米国にみるリージョナリズムと金属資源貿易の行方

はい。本日も、世間様で言うところの三連休が明け、非常に"ダレて"おります。未だに、なんとかキャンペーンを活用できていません。余裕ができた頃合いには、おそらくこの"利権フェス"の灯火も消え、「あのときは、(なんだかんだ言っても、越境ができたから)良かったなあ」だなんて、縮こまっているのでしょう。よくわかりませんが。

2年ほど前でしょうか。当ブログにて、『ジブンチの周り(2018/09/23)』というポストにて、"Regionalism"について言及しました。 これまでも散々、手前味噌で恐縮ですと前置きをしながら、引用してきました。(お手すきの際にでも、過去の"リージョナリズム"関連のポストをご笑覧ください。)

アート界隈の用語では、下記のような定義がなされています。(太字強調部は、筆者によるもの。)

引用:アートスケープ・アートワード『リージョナリズム』

地域主義、地方主義のこと。美術の文脈では、特に1930年代のアメリカン・シーン・ペインティングの一傾向としてのリージョナリズムを指す。世界恐慌を受けて孤立主義・不干渉主義を強めていたアメリカの外交政策と呼応するように、アメリカの美術シーンも、ヨーロッパ・モダニズムや国際主義への反動的傾向を強め、写実主義への回帰が見られるようになった。リージョナリズムとは、国粋主義や排外主義へと傾く当時の思潮のなかで、アメリカ社会の精神的なアイデンティティを、地方の労働や生活、西部開拓の風景や風習を描くことに求めた一群の絵画のことである。これらの絵画では、中西部の田舎町における共同体の連帯や、そこで働く筋肉質な労働者の姿などが主題となった。そのため、都市社会における貧困や差別などの問題を描いた他のアメリカン・シーンの画家たちとは大きく異なる。ベン・シャーンら、絵画を手段として市民社会の諸問題を告発し、社会の変革を求める社会派リアリズムの画家たちが、形式的にはやや保守的だが政治的にはリベラルな立場をとったのに対し、リージョナリズムの画家たちは、工業化された近代的な都市生活への反動として移民開拓の時代を彷彿させる情景を描いたからである。そのため傾向としては、ノスタルジックな愛国主義的・保守主義的側面をもつ。

トランプさんが推進していた"Greatness"というのは、まさにこういうことなのではないでしょうか。米国社会が根本からひっくり返る(分断の深化)ことを予見し、「かつての"古き良きアメリカ"に立ち返ろうよ」と。「世界のあちこちで紛争を起こして、お節介をして、利権をつくって、火傷をする歴史に終止符を打とうよ」と。結局、疲弊するのは、"地方"であって、儲けるのはアメリカ株式会社でしかないわけです。都会のエリートが、「どこそこの恵まれない国を支援しよう」などと言ったところで、結局、現場で動き回るのは、自国で不遇な環境におかれた"周縁"の人間です。本当に大事なコト(Greatness)は、本来、"自分チの周り"に数え切れないほど存在するのですから、わざわざ地球の反対側まで足を伸ばす必要はないわけです。

その懐古主義的な「アメリカ最高(再興)主義」に呼応した国民が、絶対的な"マチズモ家父長"を求め、「殻にこもる」ことを選択したわけです。口には出さないけれど、中国が恐い。自分たちの生活が困窮していく様を、身を以て感じている。なにか、「負けている」感じがする。一国のリーダーが黒人であろうが、女性であろうが、そうでなかろうが、"フロンティア・スピリット"をかたくなに固持する米国市民にとって、そんなことはどうでもいい。自分たちの生活(テリトリー)が保障されることが、なによりの宝なわけです。ああでもない、こうでもないと高い理想を描くには、それなりの精神的な安寧と、経済的な余裕が求められるのですから。

TPPがうまく機能すれば、大資本家はウハウハだよね

ついつい、米国の周縁部に身を置いた経験から、熱く語ってしまいました。さて、ここからは、昨今、注目を浴びているTPP(Trans-Pacific Partnership Agreement)について言及したいと思います。結論から申し上げると、「金属スクラップ業界における"根"の部分が大きく関与してゆくよね?」ということです。あくまでも、文尾にクエスチョンマークは残ります。表層的な概要しか掴んでいないので、もしかしたら、全然違った解釈があるのかもしれません。(と言って、逃げ口を用意しておきます。)

そもそも、この協定は、「A批准国の原産品として証明ができる(生産された)物品を、優遇された低い税金(特恵関税)を使って、他のB批准国に移動させる」ことで、「AとB両方が経済的な恩恵を受けられるといいですね」といった発想の下、推進されているモノと理解しています。

ここで、当該協定における「どうやって、Aで生産したものだと判断するのか(=特恵関税の適用になるのか、ならないのか、どうやって決めるのさ)」という点に注目したいと思います。当業界に関与してくる部分は、ココです。

原産性の判断基準…くず、廃棄物やそれらから回収された物品:くずや廃棄物の発生・回収等を「生産」として捉えます。
付加価値創出率による原産性の特別救済措置…材料の使用から生じるスクラップ部分の費用(再利用可能なもの等を除く)

細かい規定に関しては、数多の説明資料がウェブ上に存在しますので、そちらをご参照ください。筆者が、左記2項目から理解できることは、下記の通りです。

  • C国で発生したくず・廃棄物をD国に持って行って、D国で発生したものと見做して精錬加工した製品は、間違いなくMade in D国となる
  • 本来、再生利用可能なスクラップを、再生不可として廃棄処分費用を計上すれば、付加価値創出率の向上に繋げられる

まあ、これまでの"Renewable"資源くずの扱われ方としては、当然と言えば当然の流れなんですが、これまでの"グレー"な部分が、きちっと明文化されたことで、新たな商売のやり方だったり、新たな"お金の流れ"をつくることができます。字面を追えば、「TPPの枠組みの中で物品を流通させれば、これまでの"足枷"だったり、"障壁"が帳簿上は取り除かれる」わけですから、「域外(リージョンの外)との商売をするインセンティブが帳簿上は取り除かれる」わけです。

例えば、今後、米国の抜けた穴を、中国が"仕切り役"として担うのであれば、一帯一路構想を劇的に進化させるためにも、お金を回すための"エコシステム"として、大いに利用するでしょう。大陸の資本家が、資源くずをA,B,C国で買い集め、D国の仲間へ販売し、D国で製品加工をさせるわけです。モノによっては、域内のD,E,F国からG国へ半製品を集約し、コストをかけて付加価値を高め、再度、原産地の"更新"を行うことさえできましょう。そして、最終製品は、その資本家が運営する販売ルートにのって、消費者の手に渡ります。使い古されたモノは、同じようなルートを辿って、資本家の手に資源くずとして渡ります。

勘の鋭い方ならお気づきかと思いますが、資本家の資本は、日に日に増えます。言うなれば、ひとつの大きな岩の上で円陣を組み、子ども達がクリスマスのプレゼント交換をしている様です。資本家は、"親"として子ども達に場所とプレゼントの箱を用意してあげるわけです。もちろん、参加者は子どもですから、プレゼントを隣の人に渡すときに粗相をしたり、中身を壊してしまったりしますよね。そんなとき、"親"が面倒をみてあげるわけです。「もう、ダメじゃないの」と言いつつも、子どものポケットに入っている小銭を罰として徴収します。

すみません。妄想が過ぎました。言いたかったのは、実際の世界でも、AからG国、消費国のあいだで取引が行われるたびに、必ずお金が発生するということでした。そして、その"狭間"を何らかの手段で繋ぐ必要がありますので、ロジスティクスを業者に依頼します。航行上のリスクを鑑みた場合に、保険も必要となるかもしれません。決済手段も考えなければなりません。与信調査もしなければなりません。

極論を言ってしまえば、「無くなるのは、税金と国家の介在価値」であって、結局は、「"国を跨ぐ行為"には、多くのコストがかかる(=オカミ(親)に対する"ショバ代"は、無くならない)」わけです。それを、頭の良い方々は、「自由貿易協定」などと持ち上げ、あたかも「みんなが、"それ"で幸せになれる」ような言い方をしますが、果たして"そう"なのでしょうか。日本は、TPPで幸せになれるのでしょうか。

モノづくり大国を再興することはできるのでしょうか。戦略物資としての金属資源の権益を守ることはできるのでしょうか。国体を維持することはできるのでしょうか。

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11/13/2020

資源を再生し、儲かる商売として成立させるためには

いやあ、今日もぶれます。本来、やるべきことは、ヤマほどあるはずなんですが、ダメですねえ。なかなか集中できません。「米国の行方が…世界の行方が…」などと危惧したところで、自分の身の回りの出来事っていうのは、そこまですぐに変わりません。確かに、少しずつ"それ"の影響を受けながら、少しずつ変わってゆくのでしょうが。

とにもかくにも、ミクロな視点で物事を捉えすぎると、森(大局)を見失います。わかっているのだけれど、なかなかうまく優先順位の見極めができません。そして、気づけばもう、11月も半ば。来年のことも考えなければなりません。来年は、本年に増して、物事が流動的に変わってゆく年となると思います。激動の時代ですね。昨年も同じようなことを言っていたような気がしますが、気にしないでください。


メーカー側は潤っている

筆者は、2019年12月12日に、『メーカー"側"は潤っている』という記事をポストしました。その当時の海外メディアの'20年に対する視座は、下記の通りでした。

  • 大きなリセッションを迎え、場合によっては大きな生産調整があるか
  • 需要は一時的に落ち込む可能性大 → 需給は“リセット”
  • 飲料用容器(プラからアルミへ)や電気自動車向けの新規需要等が顕著に

今だからこそ、"リセッション"だとか"リセット"という言葉が、まあ、しっくりくる世の中になっていますが、その当時は、"このような事態"になるとは、一般人の想定の範疇にはありませんでした。このハナシを、都内で開かれた非鉄金属トレーダーの会合にて聞いたとき、筆者は「大きな時代のウネリが着実に進行しているのだ」ということを身を以て体感しました。



本日(11/3)、「パナソニックの津賀社長が代表権のない会長に退き、楠見常務が社長へ」というニュース発表がありました。新社長は、新会長同様、車載(自動車部材)関連の現場上がりだそうです。人事再編の真意はわかりませんが、大局としては「腐っても車載」ということだろうし、「テスラとの協働関係は、絶対に崩さないゾ」という意思の表出ではなかろうか。

これは、毎度の手前味噌で恐縮ですが、弊ブログで取り上げた『パナソニックのバッテリーに使われている銅箔』というポストにも繋がります。金属スクラップ業界において、あまりこういったニュースを重要視する傾向はないかと思いますが、筆者としては注目に値する出来事だと考えます。

プラズマじゃねえ、バッテリーだ

なぜかというと、津賀新会長は、「プラズマじゃねえ。車載(ドライブレコーダーを筆頭とした自動車ハイテク部材)だ」と言って、同社の大改革を行ったわけです。そこにきて、楠見新社長は、「部材じゃねえ。バッテリーだ」と、トヨタ並びにテスラとの関係を強固にしていったわけです。本当に、そのようなやりとりがあったのかは、わかりません。しかし、「注力すべき商材の見極め」を確実に行い、「長(おさ)の強いリーダーシップで荒波を乗り越える」のがパナソニックの強みであるとするのであれば、その長が見据える先には、大きな商機があるのではないか、そのように考える次第です。

例えば、バッテリーの電極に使われる非鉄金属素材。いわゆる"箔"の需要は、"底堅い"です。だけど、"それ"がスケールするのは、"面積"です。どんなに使用される面積が増えようとも、技術革新が並行して進むでしょうから、薄く広くなる一方だと思います。なので、銅箔に関しては、特号銅線や1号ナゲットの需要が爆発的に増大するかというと、それはあり得ないと思います。もしかしたら、品質の高いモノに対してのみ、プレミアムの幅が大きくなるかもしれませんが。(高品位金属箔の生産は、世界各地で行われるようになるからです。)

雑多なモノが増える

あまり深く言及すると、自分の商圏を損ないかねないので、あまり大きな声では言えませんが、黎明期において「ハイテク系の商材は総体的に歩留まりが悪い」ということは、確かだと思います。つまり、最初のうちは「スクラップ率が大きい(かもしれない)」ということです。その辺りの"New-New"スクラップに関しては、素材を供給している大手の商社群が商圏を握ってしまうのでしょうね。でも、まあ、業界全体の成長に伴って、下請けさん、孫請けさん、海外への委託生産も増えるでしょうから、"チマチマ・ゴチャゴチャ"スクラップの発生も必然的に増えてゆくのでしょう。

市中一般のスクラップ問屋には、恐らくそういった"細かくて雑多な"スクラップが増えるでしょうから、こういったものを「どうやって選別して、どうやって製品化するか」ということが課題として挙がるのではないでしょうか。キレイなスクラップは、これまで通り、単価で勝負していかないと抱えられないと思うので、「"エグい"モノを扱えるか否か」という点が、優位性然り、"利益創出体質"であるか否かに直結してゆくのではないでしょうか。

何を言いたいのか、例の如くブレにブレましたので、よくわかりませんが、おそらく「静脈(スクラップ再生)産業も革新が必要だ」ということだと思います。仮に、モノづくりが動脈であるならば、静脈は"モノばらし"でしょうか。モノづくりがノウハウの集積であるように、"モノばらし"にも、もっと集合知というか、"理"の部分があって然るべきです。ただ、がむしゃらにトンチントンチンやればいいわけではなく、うまく分離しないのであれば、工程のやり方・順序を変えてみることもできるだろうし、逆に、「そこまでやらなくてもいい」ことも多々あるかと思います。「グチャグチャに壊して、減容できました」というのは、リサイクルの"ワ"を乱します。

先見の明

非情に抽象的なハナシで恐縮ですが、きっと"そう"だと思います。もしかしたら、"それ"にいち早く気づいたのは、中国だったのではないでしょうか。彼らは、「もっと、強くありたい」という願望を抱きながら、「どうすれば効率的に儲けられるのか」ということを、世界の誰よりも考えている。誰よりも早く実践し、誰よりも深く徹底する。

おそらく、中国における資源再生業界の先達は、世界各地の先進的な資源再生技術を研究し、大規模な投資を行ってきたものと思います。その活動を通して、「"エグい"モノをなんとか使いこなす技術」にさらなる磨きをかけたのでしょう。これまでの「安かろう悪かろう」ではなく、「非属人的に、ユニバーサル基準で生産し、国際的に流通させるための技術」です。別に、鉱石であろうと、鉱山の操業然り、精錬コストが低く抑えられるが故に、構わない。ミックスメタルであろうと、大規模な自動選別技術があるが故に、構わない。今は売れなくとも、世界中の競合がこの瞬間に稼働できていないが故に、構わない。物量を押さえた者が、基準をつくる。故に、優位な立場にあるわけです。

日本の場合、資源再生技術としては、もの凄く先進的なんでしょうね。ただ、筆者は、最終的な再生事業者までの"ラスト・ワンマイル"の部分が冗長的で無駄が多いように思うのです。言うなれば、利権構造が盤石であるということです。AからCで済む商流を、AからZまで冗長化させ、その"冗長さ"に多くの利害関係がぶら下がります。利害関係者が多いために、薄利の商売が横行し、それに耐えられなくなった業者が、非合法の行いをします。日本が取り組むべき課題は、モノではなくヒトかもしれません。

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11/09/2020

なぜ、自分は「トランプの方がマシ」だと考えるのか

例の如く、本当はいっぱいやるべきことがありつつも、全然集中できないので、頭の中で渦巻いている、謎の"煮えたぎらない"中途半端な思いを、当ブログにぶつけます。

大統領選といいますか、米国の選挙人を選ぶ"お祭り"は、いったん終わりとなりました。トランプさんは、裁判で争う姿勢を示していますが、年明けの正式な就任式までに、明確な答えは出るのでしょうか。言い換えると、それまでは、バイデンさんは、正式な大統領ではないわけです。"ハレ"の舞台では、勢いのようなものに押され、あたかも"勝った"かのように扱われていますが、実際は勇み足が過ぎます。

魂胆がみえみえ

筆者のスタンスは、共和党支持者でもなければ、"Qなんとか"支持者でもありません。ただ、"直感"として、この乱世において、青い集団なのか黒い集団なのかわかりませんが、民主党が政権を奪取することに危機感を覚えるわけです。なぜか。筆者は、このような厭世観が募る世において、どうもバイデンさんに"ヒカリ"を感じない。なんとなく、「あ、ゴメン。オレ、病気になっちゃったから、大統領やめるわ」と言って、ハリスさんにバトンを渡す流れが見えてしまう。どう考えても、民主党は「黒人で"アジア人"で才女」を大統領にさせたい魂胆がある。そういった意味では、バイデンさんは、単なる碁盤上に敷かれた"布石"でしかない。支持基盤だって、そんなに"盤石"じゃあないでしょう。

もしかしたら、"あの時期"にトランプさんが入院したのは、「"その手"を封じるために行った仕掛けの一手」だったのかもしれない。したり顔で、「オレは、あんなウィルスなんてものともせず《復活》したけど、まさか、お前。この期に及んで、歳だとか病気を理由に辞めたりしねえだろうな」といった、リング上の"煽り"だったのかもしれない。

こういった、トランプ流の"駆け引き"が卑しく思え、「品格がない」だとか、「大統領に相応(ふさわ)しくない」と拒否反応を起こす気持ちもわかる。

でも、まあ、こんなことを言ってしまうと、"民主主義の帝国"の臣民の方々に申し訳ないが、結局のところ、米国という国は、「CHNAGEだの、なんだのと言って、実際はそんなに"代わり映えしない政治"をやり遂げた大統領の代わりに、トランプさんを選んだ」過去がある。もしかしたら、「あたしは、ヒラリーに入れたから!(あたしは、あんな男を大統領にした覚えはない)」と反発を喰らうかもしれないが、いやいや、「トランプさんが、米国の大統領に"民主的に"選ばれたことは史実であり、それが《ファクト》である」がゆえに、「あなたが大統領個人を認めないという思想は自由だが、あなた以外の国民が選んだ道(=自分の道)を認めないということは、民主主義を認めないということ」と同じであるのだ。

本当は好きなくせに

もう、簡単に言ってしまえばこうだ。大抵の女性は、「粗野で乱暴な男は嫌いだ」と嘯くだろう。「やっぱり、パートナーは家庭的で優しい人がいい」などと仰るかもしれない。これに対して、オンナの気持ちなど一切理解していないオトコ代表として申し上げると、「いや、それは対外的な一般論でしょう」と。(実際の暴力者は論外。)

卑近な例で恐縮ですが、なんだかんだ言って、飲み会のようなハレの舞台で一番"光る"オスっていうのは、"ワイルドな感じ"を全面に推しますよね。彼らの魂胆は、とにかく「目立つこと」であり、なんらかの「収穫を得る」ことにあります。強く出ることで、競合に対する優位性を誇示します。ハナシを盛ります。もしかしたら、格好いい高価な時計を身につけているかもしれません。なんで、そんな風に振る舞うのかといえば、そうすればモテると思っているからです。そして、平均的なオトコ以上の"戦績"は残します。つまり、一部のオンナに認められているわけです。

実際に、今回の選挙において、トランプさんは、相当な女性票を獲得しているはずです。でなければ、ここまでの接戦には発展しなかった。言い換えれば、"対外的な体裁"として、「あの男は汚いから、大統領(一家の主)には相応しくない」などと言っていた方々が、なぜか投票日には、彼に入れている可能性が十分にある。心の奥底(直感)では、全く違った見方をしている。平均的なオトコ/オンナではなく、"アレ"が欲しいんです。自分でも理由がわからないけど、あの"粗野な感じ"がいいんです。恐らく、「民主主義に理由はいらない」のでしょうね。

もう、どっちでもいい

もう一つ、注目すべき点は、共和党のいわゆるマイノリティ層が、今回の選挙で躍進していることです。民主主義の観点で俯瞰すれば、おそらく「民衆の支持を得たから」ということだし、「対立候補(共和党にとっての民主党)より優れているという判断があった」とも理解することができます。もしかしたら、かつてのような「コンサバ対リベラル」、「ライト対レフト」のような二元論的思想に縛られない"考え方"が、米国民に浸透しているのかもしれない。暴論かもしれないが、信条の違いなんて「どっちでもいい」し、深く考えても「わからない」し、今の生活が「幸せであれば、それに越したことはない」と思い始めている層が形成されているのかもしれない。少なくとも、筆者個人は、そのように感じ始めています。

ただ、ここまで政治に対して関心を寄せるのは、商売をやっているからということもありますし、なによりも、実際の"生活"に影響を与える存在だからです。筆者にとって、この「どっちでもいい」と思う根底には、厭世的な「あきらめ」ではありません。もしかしたら、もっと実利的な「ホクホクの人生を選択できる"マシ"な選択肢がどこにあるのか」ということを、常に希求しているのかもしれません。政治信条はあってしかるべきだと思いますが、"宗教"ではないですからね。この点において、筆者は「トランプの方がマシ」だと考える次第であります。

資源再生の業界における影響については、追って、別のポストで言及してゆきたいと思います。

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11/06/2020

スクラップの"旨味"ってなんだろうと考えながら、今後の市場動向について考察

ここのところ、色んな過去のリサイクルに関わる文献を読み漁っています。そして、各国の規制なんかも合わせて研究しています。読み進めて行くにつれ、「"この"世界的な動きは、ますます深化してゆくのだ」ということに気づかされます。"どの"動きなのかというと、端的に申せば「効率よく資源開発するための技術革新」です。これは、カミガミの意向であります。彼らは、「目を瞑っていてもカネを生んでくれるヤマ、どっかになーい?」と、常に投資先を求めています。突っ込むカネなら、いくらでも抱えている。

倫理的なハナシもいいけど、もっと実利的に

筆者は、これまで散々申し上げてきたことですが、昨今の中国による、スクラップ輸入に対する規制というものは、一国の環境問題への対応云々といった低次元のハナシではないと考えております。「海外で発生したゴミは、中国ではなく、その発生国で処理すべきだ」という視点があるがゆえに、「環境を汚染する可能性のある"ゴミ"は、断固として大陸に持ち込ませない」という論法は、世界に流布しました。しかしながら、国家としては、実利的な側面から鑑みるに、"スクラップ"が生み出す絶大なる"旨味"を前に、"それ"を使わない手はない。使いたい。

大陸は、国内外の"環境宗の信徒"たちの目をどのようにかいくぐり、"体裁良く"、スクラップを集めることができるのかということを考えるわけです。ここで、例の"イリュージョン"が開発されます。"それ"は世界に向けて、こう高らかに宣言されました。「(半ば感傷的に)もう、ゴミを押しつけるのはやめにしないか。代わりに"再生原料"なら、受け入れてあげるから」と。まさに、「言葉の綾」であります。

美味しいのはいいけど、汚いのは"はんぶんこ"

これまで、散々"美味しいところ"を、率先して独占してきた国が、「うちは、そんな"汚いこと"、もうやらないから」と嘯き、「まあ、妥協策として、"きれいなモノ"だったら…」と含みを持たせる。フタを開けてみれば、その"汚いこと"は、国の外で、自国の人間が、今まで通りのやり方でトンチンやっているわけです。パリ協定批准国としては、世界に向けて、「環境問題は、ひとつの国が背負うべきではなく、生産国、消費国、それぞれが一丸となって協力していかないと解決できないのだ」というメッセージを記憶させたいわけです。

環境問題における"先進国"でなければ、「当該(環境)問題を"問題"たらしめる首根っこの部分をコントロールできない」ということを、彼らは十二分に理解しているのです。だからこそ、ありとあらゆる"問題"に対して、真摯に対応しているという"姿勢"を前面に押し出し、自分たちのやりやすいやり方を押しつける。今般の"新規制"にしても、結局は、EUが2013年に発行した「何を以て、銅のスクラップも廃棄物(waste)ではなく、原料(feedstock)とみなすのか」といった基準に即したモノを焼き直したモノに過ぎません。

参照: "COMMISSION REGULATION (EU) No 715/2013 of 25 July 2013"

欧州委員会の共同研究センターの報告書によると、非鉄金属産業の原料となる銅スクラップには市場があり、需要があることが示されています。そのため、銅スクラップは十分な純度を持ち、非鉄金属製造業が要求する基準や仕様を満たすものでなければならない。
銅スクラップが廃棄物でなくなる時期を判断する基準は、回収作業から得られる銅スクラップが非鉄金属産業の技術的要求を満たし、製品に適用 される既存の法律や基準を満たし、全体的に環境や人の健康に悪影響を与えないようにしなければなりません。欧州委員会の共同研究センターの報告書によると、回収作業の投入物として使用される廃棄物、処理プロセスや技術、 回収作業から得られる銅スクラップについての基準は、有害な特性を持たず、銅以外の金属や非金属化合物を十分に含まない 銅スクラップを生成することができるため、これらの目的を満たすものであることが示されています。

参考: Deep L翻訳

お互いに商売なんだから、"線引き"はしっかりやっておこうよ

欧州のリサイクル業団体であるBIRは、ウェブサイト上の記事"China progresses with quality standards for mechanically recycled secondary raw materials"の中で、このように述べています。

BIR は、ISO と IEC の中国国内委員会である中国標準化局(SAC)が、 PE、PP、混合ポリオレフィン、ABS、PS、PC、PA、PET、PBT、PVC、PMMA を含む「プラスチック-リサイクルプラスチック」の一連の GB/T 規格を起草していることを知りました。
最後に、BIR は中国標準化局(SAC)が鉄と鋼、つまり機械的にリサイクルされた鉄と鋼の二次原料に関する GB/T 規格を起草していることを知りました。
これらの中国規格は、二次原材料の非常に高い品質基準を設定しています。それらには、未処理の「廃棄物およびスクラップ」と「機械的にリサイクルされた」二次原料を区別するという同じ究極の目的があります。鉄鋼、アルミニウム及びアルミニウム合金(理事会規則(EU)第333号/2011)、銅(欧州委員会規則(EU)第715号/2013)、ガラスカレット(欧州委員会規則(EU)第1179号/2012)に関する欧州規則と同じ究極の目的を持っています。

参考: Deep L翻訳

要は、「リサイクルに対する思想は、中国と欧州で一致しており、"それ"の実現に向けて協働しているよ」ということである。そして、今後、非鉄金属以外のスクラップに関しても、同様の規制を敷き、「まあ、"原料"であれば、買ってやるよ」というスタンスを拡大させてゆくということではなかろうか。もっと言ってしまえば、この巨大経済圏は、「ISRI規格?そんなモノは、ミソくらえだ」とでも言いたげなぐらい、強固な一枚岩ができあがっていることをアピールしているようにも思わせる。益々、米国は孤立する。

かつて、『中国向け金属“原料”貿易は、もはやものづくり』というポストの中でも言及しましたが、時代はQAなんです。品質を誰が、どのように担保/遵守するのか、させるのか。品質が確かであればあるほど、コモディティとしての流動性が向上します。その代わり、「それはそのくらいの価値である」と明確になればなるほど、化けません。その「化かす(イリュージョン)能力の有無」が、"スクラップ"を取引する上での"旨味"に直結していたものと理解しています。ただ、これからの"原料"取引の世界では、"それ"がそれほど化けないのです。画一的な規制適用とクォータ制度の撤廃によって、確かに「(規格さえ遵守できれば)誰でもやれる」ようになるのでしょうが、「(利益の薄さと規格の厳しさが見えていたとしても、)みんな、こぞって競争するか」というと、首を傾げてしまいます。

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11/02/2020

そろそろ大統領選の結果が出ますが、金属相場にどのような影響を与えてくれるのでしょうか。最近の気になるニュースを交え

いやあ、今日も、書いてしまいます。色々とやることがあるはずなんですが、ほとばしる"思い"をなにか形に起こしたい欲に駆られ、ついついブログの執筆に時間を割いてしまいます。身内にも言われますが、こんな「長ったらしい、まとまりのないコンテンツ」を、よくもまあ、したり顔で投稿できるよなと、毎度思いながらも、やってしまうんですよね。つい。

しばらく更新しない間に、面白いニュースがヤマほどありましたよね。また、11月3日には、米国大統領選の結果が出ます。まさに、激動の時代であります。

以下、気になるコンテンツ

中国で人民元ベースで銅先物

もう、「既定路線まっしぐら」ですよね。米ドルの基軸通貨たる必要性が薄れた結果が、"これ"であります。米国民主党オバマ政権時に、国体が揺らいだだとか、中国にすり寄ったからだとか、まあ、色んな解釈があるかと思いますが、政治学上の実態は、よくわかりません。ただ、金属屑の再生並びにその貿易に関わりも持つ商売人であれば、このように考えます。「米ドルだろうが、人民元であろうが、安全に確かに送金できる通貨を使いたい」と。その他国通貨に対する自国通貨の相対的な評価なんかを考えずに済むのであれば、煩雑さのない利便性の高い"ツール"を使いたいと思うのは、万国共通の発想ではないでしょうか。

もっと具体的なハナシをすると、米ドル決済に固執すると言うことは、SWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication SC)の"システム"に依存することになります。極論を言ってしまえば、米国にすべての決済情報を開示することになります。まあ、特に"やましい"取引をしていなければ、そんなことは気にしなくてもいいはずです。ただ、この便利で崇高なシステムを利用する上で、"枠外"との決済を行う際に問題が起きます。例えば、中東の某国から「世間一般には一般的でない、金属スクラップ」を購入したときです。当地の銀行(三菱UFJ)側で、「なんか、怪しい取引してないよね」と決済に"待った"がかかることがあります。

我々は、日々、「経済圏をまたぐ」度に、その"通行料"なり"利用料"を、当たり前のように納め、当たり前のようにサービスなり物品を手にしていますが、その"またぐ"行為は、本来は「そこまで当たり前ではない」のです。その"煩わしさ"を、ルールを守り、一定のみかじめ料を納める前提で、あたかも"当たり前"に使うことのできる便利なツールであると錯覚させる"システム(イリュージョン)"が、我々の生活を支えています。

大阪は、OSAKAにならないらしい

これも、帝国の覇権争いの一端であると理解していますが、実態はどうなんでしょうか。また、今般のウィルス騒動で、リニアの存在意義自体が大きく揺らいでおります。静岡の知事がどうのこうのとのたうち回ったところで、利権構造の盤石な当該ビジネスにおいて、本来であれば、一蹴されるような"戯れ言"で済まされます。ただ、"誰か"が、そうさせなかった。そうさせたかった。リニアのスタートを遅らせたかった。時期尚早としたいのか、いや、もはや必要の無い過去の遺物なのか。間違いの無い事実を挙げるとするのであれば、リニア主体のインフラ整備には、「相当量の電力の確保」が必要だし、「名古屋(トヨタ)を中心とした各経済圏の足並みを揃える」ことが前提となると思います。

弱小通貨はイラン

タイトルの通りです。実際には、すべての貿易決済が対象ではなく、日本でいうところの"出島"のような経済特区の中のさらに一部で、仮想通貨を用いた決済が行われるであろうというハナシのようです。おそらく、ここでも"システム"のハナシになりますが、外貨の準備高云々以前に、"グレー"な取引をせざるを得ない方々にとって、アメリカ株式会社の決済管理システム(SWIFT)は、"悩みの種"でしかなく、"それ"を無視できる決済システムがあれば、喜んで"そっち"を使うわけです。目下、中華経済圏版のCIPS(Cross-Border Interbank Payment System, RMB)なる"枠組み"があり、今後、ますます利用価値が向上するモノと考えられます。

聞いたところによれば、全世界の中で、当該"システム"に参加している金融機関数が多いのは、日本だそう。この流れに、日本としての深い戦略性や狙いがあるのであれば、それはもう、この国が貿易における、一大ハブとして名を馳せるチャンスでしかありません。香港がかつて担っていた"洗浄力"を、この国が持ち、米中両経済圏の"架け橋"となる日がやってくるのです。

まあ、半分冗談ですが、あながち間違った方向性ではないのかもしれません。前回のポストの中で、「ハブなり架け橋なんてミソ食らえ」だと断言しましたが、その通りです。使われてお終いです。しかしながら、衰退してゆく一方の我が国にとって、まだ"利用価値"がまだあるだけ、マシなのかもしれません。それぐらい、NIPPONの成長性は乏しい。黒田砲でもアベノミクスでもいいですが、ありとあらゆる"カンフル剤"を試し、その場しのぎの"HIGH"は享受してきましたが、これ以上、"危険な薬物"を受け入れるだけの体力は残っていないような気がします。薬物耐性が強くなってしまった、中毒者のようです。

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