2/23/2020

トイレの洗剤が売り切れる前に、薬局へ行ってきます

今般のウィルス騒動ですが、文字通り「猛威」を振るっております。個人的には、病原体としての恐ろしさよりも、そのパラノイア的な「アイツに触ると、コロナが感染る」妄想といいますか、精神的な「脅威」としてのウィルスとしての機能の恐ろしさに目がいってしまいます。そんな中、度々当ブログでも取り上げている、"糞口経路"というキーワードが、再度注目を浴びているようです。

2/3付『体の奥底に潜り込んでいく』というポストの中で、筆者はこのように申し上げました。

今般の新型コロナウィルスは、体の表層に近い粘膜ではなく、意外と体の奥底に潜り込んでいくということなのでしょう。おそらく、体の表層に症状が出る頃には、期間部位が既に重篤な範囲にわたって感染しており、免疫機能が犯された結果として、急性の呼吸器症候群が表出するのでしょう。個人的な憶測の域を出ませんが、「長期戦を覚悟すべき」なのではないでしょうか。

トンデモ論にご注意

興味半分で調べた嘘くさい情報なので、信憑性は定かではありませんが、「"例の"クルーズ船の運営会社は、過去に廃棄物の処理を適正に行なっていなかったとして、行政より再三に渡って注意を受けていたにも拘らず、迅速な対応を怠った」だとか、「IR事業を積極的に進める政府が、"カジノ・クルーズ船"を受け入れないわけにはいけない」だとか、「当該船は、ACE2酵素を他人種に比べ多く持つ特定の遺伝子保持群をターゲットにしてつくられた生物兵器の実験場および、拡散させるための濃縮機」であっただとか、トンデモ論を過信してはなりませんが、この状況下においては、信じるに値するのではないかと、逆にいぶかしく思ってしまう次第であります。

我々は、「ポスト・トゥルース」の時代に生きております。もし、仮に「船内の不衛生な環境、ひいては『ウィルスに感染した食事が原因』で船内エンデミックを起こした」という妄想が真実だとしても、仮にそれを完璧に証明する根拠があったとしても、それを「信じる」人がいなければ、それは"真実"たり得ません。どんなエビデンスを並べようが、一部の影響力を持った方々の美辞麗句には勝てません。

もはや、他人は他人。わかってくれる人が少しでも周りにいるのであれば、それでいいや。そのように考えること、他人を信じることがどれだけ儚いことであるかということを、常に念頭に置いて行動することが、「身を守る」ひいては「身内を守る」上で、最善の方法なのではないか、そのように考える次第です。

儲かっている会社のトイレはキレイ

商売人の世界では、当たり前のこととして認知されていますが、「儲かっている会社のトイレはキレイ」であります。(素手で便器を磨くことが好きな会社もあるようですが、それは正直、気が違っていますよね。)なぜ、トイレがキレイだと儲かるのかという因果関係は、はっきり説明できませんが、逆に「トイレの汚い会社は、儲かっていない」と言い換えれば、まだ、説得力を持つかもしれません。「当たり前のことを当たり前にやる」ということが、恐らく、行動力や完遂力といった商売上求められる要素に繋がっているのでしょうか。

私の好きなテレビドラマに、『銀二貫』という作品があります。具体的なストーリーは省きますが、あらましとしては下記の通りです。

舞台は商人の町・大坂天満。主人公の松吉は仇討ちで父を亡くし、自分もあわや討たれるかというところを、偶然居合わせた寒天問屋・井川屋の主人・和助に銀二貫で救われた元武士の息子である。生きるため井川屋の丁稚となった松吉だが、武士を捨て、商人の道を歩むことに心が揺れていた…。大火で焼けた天満宮再建のためにかき集めた大切な銀二貫で松吉を救った主人の和助や、信心深いが故に松吉に辛くあたる番頭の善次郎から、商人としての厳しい修行と躾を受ける。そして、小さな寒天問屋の暖簾をめぐる数々の事件を乗り越え、松吉は商人の道をゆっくり歩みながら成長していく。得意先の料理屋の娘・真帆との淡い恋も絡め、関西風情たっぷりの空気感の中で、涙あり笑いあり恋愛ありの人情時代劇を描く!

この作品の中で、商人の心構えとして、下記の3つが度々劇中に登場します。

  • 始末
  • 才覚
  • 神信心

自分の少ない海外経験の中で、切に思うのは、「トイレ環境は、その土地の住人の顔を表す」ということです。かなり控えめな表現にしましたが、端的に申せば、「自分の落とした"モノ"が、本来あるべきところにないのに、それを『そのままでいいや、誰かが掃除してくれるからいいや』と言って、見過ごすような人間の集まりはクソ」だと思います。要は、始末が悪い。

卑近な例で恐縮ですが、港区の高級ホテルで用を足して、その足で東京入管に向かい、そこの"それ"を使ってみてください。「トイレットペーパーを盗まないでください」という張り紙を目の当たりにした時、「世界はこれほどまでに高低差があるんだな」ということを思い知らされます。

閑話休題。商人の心構えの話でした。個人的な理解としては、「自分が言ったこと、やったことに対する責任と完遂が始末」であり、「自分が信ずる道を熱意を持って進み、修正し、自分のものにすることが才覚」であると捉えております。最後の「神信心」は、「始末も才覚をも超越した先に控える"なにか"を信じるこころ」ではないか、そのように考えています。

トイレの洗剤が売り切れる前に、薬局へ行ってきます。


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2/12/2020

穢れを嫌う

'19新型コロナウィルスの正式名称が決まったようです。

NPR - "New Coronavirus Disease Officially Named COVID-19 By The World Health Organization"

この期に及んで、「まだ、そのネタ引きずるか」といった感は否めませんが、ここまで実体経済に影響が出てきた、出てくることを考えると、一概のクズ屋風情者の頭の中でも、「どげんかせんといかん」と思いを巡らせるわけです。しかしながら、今般の流行病(はやりやまい)に対して、我々が太刀打ちできるのかというと、それは無理だと思います。某国の生物兵器であるとか、どこぞの研究所由来のウィルスであるとか、いわゆるトンデモ論、都市伝説として一蹴されるような言説が飛び交っていますが、そんなことが事実であろうがなかろうが、我々の実生活、子供たちを育てていく環境にとって良くないという事実の方が大事であって、身を守る対策を講じることが最善であると考えています。

この"ヤマイ"に対してできる最善の策は、ただひとつだと考えています。

穢(けが)れを嫌う

徹底的に、汚れることに備える。徹底的に、汚れてしまったら、それを洗い流すこと。これだけ話を引っ張っておきながら、当たり前のことしか言えていないことが噴飯モノですが、それしか対策はないと真剣に考えています。もっと言ってしまえば、そうならないように「祈る」ことしかできないとも感じています。巷では、除菌して、殺菌して、マスクをして、防護服を着て、あれを食べると良い、あれを食べると悪いなどといった眉唾モノの話が盛り上がっていますが、本当にそれは"イイ"のでしょうか。

寝食を惜しんで、今般の病に立ち向かっている医療従事者の方々が、次々に感染し、命を落としています。万全の対策を講じているとされている方々でさえ、なんらかの"隙"を突かれ、この病に憑かれてしまった。この純然たる事実をもって、一般人ができうる「マスクをしましょう」だとか、「除菌!除菌!」などというマヤカシが、本当にこの病に効くのでしょうか。降って湧いたかのように「濃厚接触でした!エアロゾール感染でした!また、感染者が増えました!」などと吹聴するマスメディアの垂れ流す情報が、この病に効くのでしょうか。もしかしたら、情報としては間違っていないかもしれないです。ただ、不確定な情報を撒き散らして、新たな用語をつくり、人民の恐怖を煽ることが、精神的なヤマイを増幅することに貢献していることに対して、彼らは言及しません。

我々はもともと汚い

ここからは、感傷論ではなく、少し科学的な視点でコトバを紡いでみたいと思います。筆者が「信用に足るのではないか」と受け取った情報は、下記の通りです。

「マスクをする人が増えたから、インフルエンザの流行が抑えられているわけではない」という"可能性"について
「当たり前だけど、当たり前にできない行動」について

個人的な極論は下記の通りです。

  • 他人はバイキンの巣窟
  • 手洗い、うがいができない人間とは断交
  • マスクは気休めだけど、倫理的にするべき
  • 菌を全滅することに意味はない

自分の味方の菌も一緒に殺してしまう、「除菌、殺菌」を過信することに落とし穴があると、"筆者は"信じています。ノドの痛みが出た場合のみ、咽頭部に直接塗るタイプの殺菌薬を使うことは、かぜのときに抗生物質を飲むことと同様に、悪化を防ぐ、周囲へ病原菌をばら撒くことを防ぐためには、アリだと考えています。ただ、これが強力なウィルスに対して"も"効用あるのか、それはわかりません。いわゆる「あれがいい!これがダメ!」的な情報を過信して、風邪をひいてしまったときに、人間は素直に「自分の体調管理が悪かったから」と認められるでしょうか。中国に行ったこともないのに、COVID-19に罹ったとき、「自分の体調管理が悪かったから、自業自得だ」と認めることができるでしょうか。


2/09/2020

なんか変だなあと、そんな違和感しか感じないわけです

筆者は、2018年5月、『きな臭い感じ』と題し、今後起きるであろう事態についてこんなことを言っていたようです。

オカミから与えられる締め付けやら、資金繰りが難しくなることによる“手詰まり”由来の失敗が積み重なり、満身創痍の身体で野垂れ死ぬケースが増えてくるのではないでしょうか。(=飢えによる淘汰)

周辺の業者さんから聞いた話でしかないですが、中国向け輸出業者さんの中には、大陸からの資金回収に難儀していらっしゃる方々が多く出ているようです。この類の「誰それから聞いた話」ですとか、「抽象的な量を示す"多い"とか"少ない"」といった話が、筆者のような末端まで"業界情報"として出回るとき、なにを考えるべきかというと、おそらく「相当ヤバイ状況に陥っていて、その余波は大きく、末端へも見事に押し寄せる」ということだと思います。

なんか変…

第三者が思う「なんか、この人の近くにいると辛気臭いな」という、ふわっとした直感は、当事者が感じ取る情報以上に信憑性があったりするわけです。なぜかといえば、震源の近くにいる人、利権の中心にいる人ほど、思惑で動く取り巻きに囲まれており、マイナス要素を孕んだ情報を徹底的に隠すわけです。そして、当人もそういった情報に対して、自分の意図と反する内容であればあるほど、徹底的に排除しよう、自己の思惑に近い情報を信じようとするのが、いわゆる権力者の"サガ"であります。某大国の主席にしても、今般のウィルス騒ぎで、「親分、今回ばかりは…」と進言する取り巻きに対して、「オヌシ、なにを申す!」と一刀両断し、事態の早期解決を拒んだ。いつものごとく、強権で押さえつければ、なんとかなる、なんとかしてやるぜ、そのようなスタンスであったのでしょう。結果は、誰しもが知っている最低の事態に陥ったわけですが。

時代は繰り返す

上記の画像は、JX金属が発表している、いわゆる「銅の建値」をグラフにしたものです。グラフは、印象操作する者だと認識しておりますので、下限値は@500に、上限値は@900に設定しております。そこに、"筆者の意図"が介在できるように、"なんだか意味ありげな線"を引きました。筆者は、先物のトレーダーでもなければ、メーカー売りのヘッジのポジションも持っていません。基本的に、リスクの少ない商売ばかりしていますので、相場の上げ下げによる評価損は出にくいのが、現状であります。ただ、相場が下がることによって、市場の流動性が鈍くなるのであれば、商売に直接の影響が出て参ります。そこで、このようなデータをもとに、"ざっくり"今後の相場がどのように向かっていく可能性があるのか、マクロ視点で検証してみよう、そのように思った次第です。

下記、"なんだか意味ありげな線"を描いて思った感想です。

  • '21前半まで銅相場はグズグズ
  • 相場の定常的な"アゲ"が期待できるのは、@550圏まで下げてから
  • "サゲ"基調になるのは、@800圏を突き抜けたら

下記、さらに踏み込んで、「こうなってくれたら、おもしろいのに」的な妄想です。

  • 新基軸通貨誕生に伴う、非鉄金属スクラップトレーディング界の秩序崩壊からの再生
  • 欧州大手リサイクラーの日本市場進出に伴う、国内企業の統合と淘汰
  • 宇宙における資源開発に伴う、レアメタル並びにプレシャスメタル価格の低迷

営業マンはいらない

かつて、北関東の有名な問屋さんの社長に、こう言われました。「これからの時代、クズ屋に営業マンはいらない。値段さえ置いていけば、その値段が勝手に営業してくれるのさ。先物のマーケットにしても、AIが入り込んで、機械的な高速取引が行われているだろ。人間同士で、ああだこうだと駆け引きするのは、非効率的でナンセンスなんだ」と。

言ってることはわかるんですが、全然理解できません。どういうことかというと、金融的な観点からみれば、「機械にやらせておけ」であるべきだということは、腑に落ちるわけです。しかしながら、水モノを扱う商売人的観点からみれば、「人情が介在しない商売は、実業ではない」と言い切ることができるし、「安売り合戦でやっていけるのは、モノが売れている時だけ」だということを日々の活動の中で感じ取っているわけです。

まさに、この瞬間、いわゆる"巨大胃袋"としての消費国にモノが流れていない。それは、バルチック海運指数なんかを見れば、すぐに原料を送るバルク船の需要が薄いことは、明確にわかってしまうわけです。現物取引の場合、モノが流通しなければ、決済が起きない。決済が起きないということは、金融にカネが回らないということも意味します。回すカネがなければ、金融に依存する意味がない。薄利多売戦法が機能しなくなりますよね。

商売は、それに携わる人間全てが、"納得できる"利益を享受できることが大前提であると考えています。限られたパイの中で、ひとりよがりを言っても長続きしないし、虚勢を張ったところで、時流によっては、足元を掬われるだけの"奇行"に過ぎない場合もある。先人は言ったものです。「袖振り合うも多生の縁」であると。日々の出会い、やり取りを大事にし、ふとした瞬間にぽっと湧いてくる商機を、誰より早くモノにしようと努める。失敗するかもしれないし、成功するかもしれません。すべてに因果があるのかもしれないし、そんなものは、そもそも存在すらしないのかもしれません。なにもわかりませんが、どんな小さなことでも、人と人があっておこる化学反応無くしては、商売が成り立たないという原則は、未来永劫変わらないものだと信じています。

2/04/2020

なにをもって、それをそれたらしめるのか

昨日のネタを引きずりますが、日本語版のブルームバーグで同じ内容の翻訳記事が出ていました。ちなみに、新華社発信のオリジナル記事は、こちらです。

なぜ、この話題を続けるのかというと、なんだかおかしな点が、いくつか見受けられるからです。




なぜ、「糞口経路」と言及しながら「経口感染"も"」と言い換える必要があったのか

  • コロナウイルスは糞口経路に沿って伝播する可能性がある
  • 新型コロナウイルス「経口感染」の可能性も

同じ記事にリンクされているタイトルなんですが、なぜか違います。おそらく、ブルームバーグ日本語版編集が改題したのだと思います。なんらかの必要があってのことでしょうか。田辺三菱製薬のワクチン.net『感染経路について』というウェブページを参考にすると、ウィルスや細菌の感染経路には、下記のような区別があると明記してあります。

  • 空気感染…ウイルスや細菌が空気中に飛び出し、1m以上超えて人に感染させること
  • 飛沫感染…ウイルスや細菌がせき、くしゃみなどにより、細かい唾液や気道分泌物につつまれて空気中に飛び出し、約1mの範囲で人に感染させること
  • 接触感染…皮膚や粘膜の直接的な接触、または医療従事者の手や医療器具、その他手すりやタオルなどのような物体の表面を介しての間接的な接触により、病原体が付着することで感染すること
  • 経口感染(糞口感染)…ウイルスや細菌に汚染された食べ物を、生または十分に加熱しないで食べた場合や、感染した人が調理中に手指等を介して食品や水を汚染し、その汚染食品を食べたり飲んだりした場合に感染します。糞便が手指を介して経口摂取される場合を特に糞口感染といいます

新華社によれば、今般のウィルスが広まってしまったトリガーが、「糞便が手指を介して経口摂取され」たことにあることは、間違いない事実のようです。地元の医療関係者が確信していることが言及されているからです。要は、これまで動物にしか感染しないとされてきたコロナウィルスが、"なんらかの理由"で人間の口に入り込んで、お腹の中で悪さをするようになった。

そして、ここからは個人的な推測ですが、次のステップとして、食品市場内で"風土病"としてエンデミック状態に陥り、最後のステップとして、自分が感染しているとは知らずに各地に移動した人間が、その次の感染者を生みエピデミック状態にまで広がってしまった、そういうことだと思います。

そこで気になるのは、現在の状況を「世界各地で猛威を振るっているから」、パンデミックと呼ぶべきなのかということです。また、もっと実生活を送る上で気になるのは、「感染者と同じ空間にいただけで、自分も感染者になるのか」ということです。そういった不確定要素があるからこそ、ブルームバーグ日本語版はタイトルを変えて、「飛沫感染の可能性もあるよね」というニュアンスを与えたのではないでしょうか。印象操作と言ってしまえば終わりですが、それだけメディア側に、「断言・断定することのリスク」があるということが、今の現状なのでしょう。「先が見えない」ということは、恐怖でしかありません。

リージョナリズムとは

当ブログでは、頻繁に登場する"リージョナリズム"ですが、今までもこれからも、わかったような口のきき方で語っていくことに変わりはありません。しかしながら、少しずつ、"それ"の持つ意味がわかってきた気がします。例えば、今般のウィルス騒動に巻き込まれた方々の特徴としては、今のところ、中華経済圏に身を置く者、または当該経済圏の恩恵を受けている者に限られています。いまいち、言葉に説得力がありませんが、もし仮に、「何十年も服役していて、面会者も少ない日本国内の受刑者に感染が出た」という話になれば、どうでしょう。十二分に、例のウィルスの感染力が強く、経口であろうが、飛沫であろうが、空気で感染する可能性が否定できないし、もはや"ナニジン"であるとか、そういったことは関係なしに感染するということが考えられます。そうなった場合には、恐らく他の国でも、中華経済圏とは、まったく関係のない場所で、ぽつぽつと感染者が増えていくはずです。

"たられば"の話で恐縮ですが、もし、グローバリズム的な争いというものが、「世界地図の上に書かれた線の中で起きる問題、またはその線の中で塗りつぶされた地域と別のそれとの間で起こる問題」なのであれば、リージョナリズム的な争いというのは、「蠢くアメーバが、狭い地球儀の中で押し合いへし合いしているときに起きる問題」なのではないでしょうか。

また、いつもの妄想ですが、今のところ、アフリカ地域での当該ウィルス感染の報告は、ない。そのように、言われています。当ブログでも、取り上げていますが、『アフリカで花開く一帯一路』構想がある限り、同地域への中華経済圏が与える影響は小さくないはずです。そこで、感染者を増やすようなことがあってはなりませんが、もし、想定以上の感染者が出なかった場合、中華経済圏がひとつではない(=一枚岩ではない)可能性がみえてくると考えています。飛躍しすぎて、ついてこれないでしょ?

2/03/2020

体の奥底に潜り込んでいく

思わず、「へ?え?エエエぇ!?」と言葉にならない、変な音を発してしまいました。

「Coronavirus May Transmit Along Fecal-Oral Route, Xinhua Reports」と題した、ブルームバーグ発信の記事であります。つまり、「コロナウィルスは、糞口経路で感染を広げた可能性がある、と新華社が報じた」ということです。

乾いた咳や肺炎という、表面的な症状が取り沙汰され、空気に漂う飛沫感染ばかり注目されています。しかしながら、国内の"シロ"と判断された帰国組の痰から、当該ウィルスがみつかったという"事件"まで取り沙汰されていることが裏打ちしているように、今般の新型コロナウィルスは、体の表層に近い粘膜ではなく、意外と体の奥底に潜り込んでいくということなのでしょう。おそらく、体の表層に症状が出る頃には、期間部位が既に重篤な範囲にわたって感染しており、免疫機能が犯された結果として、急性の呼吸器症候群が表出するのでしょう。個人的な憶測の域を出ませんが、「長期戦を覚悟すべき」なのではないでしょうか。

エピデミックとパンデミック

今、米国はインフルエンザの感染が広がり、おおくの方が患い、数万人規模の死者が出ていると聞きます。これをもって、"エピデミック"と呼ぶのでしょう。しかしながら、今般の"それ"は、季節的な因果関係がわからなければ、今後の感染の影響範囲、ひいては確立された治療法も、今のところはないわけです。

いわゆる大国の影響が、経済が発展するにつれ、同国の人間が、世界の国々に向くようになり、その結果として、"パンデミック"を引き起こす素地を作り上げた。それは、間違いのない事実です。どこぞの国が悪いとか、そういった思想は見当違いであるし、許されるべきではないと思います。彼らだって、まさか自分が感染の媒体になるとは思いもしないし、病気になりたくない。ただ、我々の住む世界の現実として、「大きくなりたい、自分さえ良ければいい」というエゴを強く抱いたまま、なりふり構わず、勝手に生きようと邁進する人間がいくらかおり、彼らの通ったあとには、必ず屍が積み重なっているわけです。その事実に対して、"非道"だと憤り、「なんとかしたい」と奮闘される方々がいる。それが、我々人間社会の"サガ"であると考えています。

非道は淘汰

翻って、我々、非鉄金属スクラップの世界においても、「大きくなりたい、自分さえ良ければいい」と考える方々は、いくらか存在します。過去、"非道い"やり口でのし上がったと噂される業者さんの名前もちらほら耳にしたことがあります。あんなに欲しがっていたのに、「中国のバイヤーが買わないから、ウチもおたくからは買わない。スクラップって、そんなものでしょう」と嘯き逃げる業者さん。あんなに強気だったのに、「相場がここまで下がっちゃうと、出せないですよ」と嘯き逃げる業者さん。一方で、苦しいはずなのに「いや、こんな状況でも、お約束したものは出します。お互い様じゃないですか」と開き直り、逃げない業者さん。時代の潮流が大きく変わろうとしている今、"非道"は通用しません。正しい道にあらず。常に品行方正であることは難しいですが、常に"誠実"であることは不可能ではないと考えています。

2/01/2020

2月10日まで仕事に復帰してはならないよ

Twitter情報で恐縮ですが、「2月10日まで仕事に復帰してはならないよ」と宣言した中国の行政地域が、だんだんとわかってきたようです。

  • 遼寧省、吉林省、内モンゴル自治区、湖北省、湖南省、山東省、安徽省、江蘇省、浙江省、江西省、福建省、広東省、雲南省、貴州省、重慶(直轄市)、平遥(市)、上海市(直轄市)
  • 北京市は、2/3から2/7までリモートワークを指示

左記の行政地域には、多くのアルミナスメルター、銅精錬所、ならびに非鉄製品工場、それに紐づく販社のオフィスがあると思います。膝を突き合わせる必要のなくなった、昨今のデジタル・コミュニケーション世界におきましても、実体のあるものづくりをしている企業にとって、「仕事するな」イコール「お金儲けできないよ」であることは間違いありません。物流が寸断されれば、ものづくりの現場に原料が届かなくなることも予想されます。週明けの先物相場、株価ともに大荒れの様相を呈すことは必至であると言われています。

我々の業界でも、手解体を本格的にはじようと意気込んでいる中国系ヤードの皆々様方もおいでになりますが、人材の確保と安定稼働が大変になりそうですね。仮に、想定通りに仕分け、選別、解体、荷造りまで終えられたとしても、この暗中模索かつカオスの状態の中、大陸のバイヤーさんたちは、どのように値をつけ、どのタイミングで決済を行うのでしょうか。仮に、通貨自体の信憑性に疑問符が突きつけられたとき、果たして、確かに代金の決済はできるのでしょうか。また、どのように対処していくのか。

今まで、「商品性のあるクズを売る」ということは、「(鼻に指を突っ込みながら)ダイジョブ。中国、欲しいカラ。みんな、お金イッパイ持ってるね」という、どこから湧いたのかわからない巨大な与信供与のもとで、それとなく、"なんとなく"滞りなく資金は流れていたものと思われます。しかしながら、今後、「純然たるコモディティとしての原料を流通させる」ということは、"売り手"の信用を品質で担保し、"買い手"の信用を現金力で担保し、関税をきちんと納め、相場変動等のリスクをがっちりヘッジしていく必要が、当然のことですが、これまで以上に求められると思います。

そして、今、我々のこめかみに突きつけられている問題として、地政学上のリスクというものがあります。「中国にモノを供給できなくなったら、どうしようか」という、"金払い"以外の側面であります。当ブログで散々申し上げていることではありますが、「世界はリージョナリズムに突き進んでいる」ということです。若干の飛躍があり、筆者当人でさえ、本当に理解しているのかわからないコトバでありますが、「クニで考えること、クニに縛られること」の必要性が、だんだんと"鮮明に"薄くなっています。

例えば、「中国のあの会社は、どこそこの企業集団の傘下にあって、最近、悪い噂がある」らしいから、与信はこのくらい。「米国のあの会社は、中国のどこそこの会社と同じようなものづくりをしている」らしいから、じゃあ、あの商品も米国向けに売れるんじゃないか。「欧州では、新しいタイプの車の需要が強い」らしいから、あの商品を営業してみよう。いや待てよ、そもそも、仕入れが安くなったんだから、国内で国内向けに加工しても、採算とれるんじゃないか、と。真の意味で「商品性がある(=純然たるコモディティ)」のであれば、ひとつの国にこだわる必要は、一切ないわけです

ただ、「なぜ、揃いも揃って、日本の資源が中国に輸出されていたのか」と言えば、それは「中国が、世界で一番それらを必要としていた(いる)」からであって、「(貿易屋さんが大好きなコトバ)"巨大胃袋"が、雑食であった」がためでしかありません。

毎度のごとく脱線の脱線で恐縮ですが、「『寄らば大樹の陰』と高を括っていたら、大樹が倒れてきた」などといった話にならぬよう、なっても損害を被らないよう、日々日々、ただひたすら砲金の仕分けをしていきたいと思います!

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