米国にみるリージョナリズムと金属資源貿易の行方

はい。本日も、世間様で言うところの三連休が明け、非常に"ダレて"おります。未だに、なんとかキャンペーンを活用できていません。余裕ができた頃合いには、おそらくこの"利権フェス"の灯火も消え、「あのときは、(なんだかんだ言っても、越境ができたから)良かったなあ」だなんて、縮こまっているのでしょう。よくわかりませんが。

2年ほど前でしょうか。当ブログにて、『ジブンチの周り(2018/09/23)』というポストにて、"Regionalism"について言及しました。 これまでも散々、手前味噌で恐縮ですと前置きをしながら、引用してきました。(お手すきの際にでも、過去の"リージョナリズム"関連のポストをご笑覧ください。)

アート界隈の用語では、下記のような定義がなされています。(太字強調部は、筆者によるもの。)

引用:アートスケープ・アートワード『リージョナリズム』

地域主義、地方主義のこと。美術の文脈では、特に1930年代のアメリカン・シーン・ペインティングの一傾向としてのリージョナリズムを指す。世界恐慌を受けて孤立主義・不干渉主義を強めていたアメリカの外交政策と呼応するように、アメリカの美術シーンも、ヨーロッパ・モダニズムや国際主義への反動的傾向を強め、写実主義への回帰が見られるようになった。リージョナリズムとは、国粋主義や排外主義へと傾く当時の思潮のなかで、アメリカ社会の精神的なアイデンティティを、地方の労働や生活、西部開拓の風景や風習を描くことに求めた一群の絵画のことである。これらの絵画では、中西部の田舎町における共同体の連帯や、そこで働く筋肉質な労働者の姿などが主題となった。そのため、都市社会における貧困や差別などの問題を描いた他のアメリカン・シーンの画家たちとは大きく異なる。ベン・シャーンら、絵画を手段として市民社会の諸問題を告発し、社会の変革を求める社会派リアリズムの画家たちが、形式的にはやや保守的だが政治的にはリベラルな立場をとったのに対し、リージョナリズムの画家たちは、工業化された近代的な都市生活への反動として移民開拓の時代を彷彿させる情景を描いたからである。そのため傾向としては、ノスタルジックな愛国主義的・保守主義的側面をもつ。

トランプさんが推進していた"Greatness"というのは、まさにこういうことなのではないでしょうか。米国社会が根本からひっくり返る(分断の深化)ことを予見し、「かつての"古き良きアメリカ"に立ち返ろうよ」と。「世界のあちこちで紛争を起こして、お節介をして、利権をつくって、火傷をする歴史に終止符を打とうよ」と。結局、疲弊するのは、"地方"であって、儲けるのはアメリカ株式会社でしかないわけです。都会のエリートが、「どこそこの恵まれない国を支援しよう」などと言ったところで、結局、現場で動き回るのは、自国で不遇な環境におかれた"周縁"の人間です。本当に大事なコト(Greatness)は、本来、"自分チの周り"に数え切れないほど存在するのですから、わざわざ地球の反対側まで足を伸ばす必要はないわけです。

その懐古主義的な「アメリカ最高(再興)主義」に呼応した国民が、絶対的な"マチズモ家父長"を求め、「殻にこもる」ことを選択したわけです。口には出さないけれど、中国が恐い。自分たちの生活が困窮していく様を、身を以て感じている。なにか、「負けている」感じがする。一国のリーダーが黒人であろうが、女性であろうが、そうでなかろうが、"フロンティア・スピリット"をかたくなに固持する米国市民にとって、そんなことはどうでもいい。自分たちの生活(テリトリー)が保障されることが、なによりの宝なわけです。ああでもない、こうでもないと高い理想を描くには、それなりの精神的な安寧と、経済的な余裕が求められるのですから。

TPPがうまく機能すれば、大資本家はウハウハだよね

ついつい、米国の周縁部に身を置いた経験から、熱く語ってしまいました。さて、ここからは、昨今、注目を浴びているTPP(Trans-Pacific Partnership Agreement)について言及したいと思います。結論から申し上げると、「金属スクラップ業界における"根"の部分が大きく関与してゆくよね?」ということです。あくまでも、文尾にクエスチョンマークは残ります。表層的な概要しか掴んでいないので、もしかしたら、全然違った解釈があるのかもしれません。(と言って、逃げ口を用意しておきます。)

そもそも、この協定は、「A批准国の原産品として証明ができる(生産された)物品を、優遇された低い税金(特恵関税)を使って、他のB批准国に移動させる」ことで、「AとB両方が経済的な恩恵を受けられるといいですね」といった発想の下、推進されているモノと理解しています。

ここで、当該協定における「どうやって、Aで生産したものだと判断するのか(=特恵関税の適用になるのか、ならないのか、どうやって決めるのさ)」という点に注目したいと思います。当業界に関与してくる部分は、ココです。

原産性の判断基準…くず、廃棄物やそれらから回収された物品:くずや廃棄物の発生・回収等を「生産」として捉えます。
付加価値創出率による原産性の特別救済措置…材料の使用から生じるスクラップ部分の費用(再利用可能なもの等を除く)

細かい規定に関しては、数多の説明資料がウェブ上に存在しますので、そちらをご参照ください。筆者が、左記2項目から理解できることは、下記の通りです。

  • C国で発生したくず・廃棄物をD国に持って行って、D国で発生したものと見做して精錬加工した製品は、間違いなくMade in D国となる
  • 本来、再生利用可能なスクラップを、再生不可として廃棄処分費用を計上すれば、付加価値創出率の向上に繋げられる

まあ、これまでの"Renewable"資源くずの扱われ方としては、当然と言えば当然の流れなんですが、これまでの"グレー"な部分が、きちっと明文化されたことで、新たな商売のやり方だったり、新たな"お金の流れ"をつくることができます。字面を追えば、「TPPの枠組みの中で物品を流通させれば、これまでの"足枷"だったり、"障壁"が帳簿上は取り除かれる」わけですから、「域外(リージョンの外)との商売をするインセンティブが帳簿上は取り除かれる」わけです。

例えば、今後、米国の抜けた穴を、中国が"仕切り役"として担うのであれば、一帯一路構想を劇的に進化させるためにも、お金を回すための"エコシステム"として、大いに利用するでしょう。大陸の資本家が、資源くずをA,B,C国で買い集め、D国の仲間へ販売し、D国で製品加工をさせるわけです。モノによっては、域内のD,E,F国からG国へ半製品を集約し、コストをかけて付加価値を高め、再度、原産地の"更新"を行うことさえできましょう。そして、最終製品は、その資本家が運営する販売ルートにのって、消費者の手に渡ります。使い古されたモノは、同じようなルートを辿って、資本家の手に資源くずとして渡ります。

勘の鋭い方ならお気づきかと思いますが、資本家の資本は、日に日に増えます。言うなれば、ひとつの大きな岩の上で円陣を組み、子ども達がクリスマスのプレゼント交換をしている様です。資本家は、"親"として子ども達に場所とプレゼントの箱を用意してあげるわけです。もちろん、参加者は子どもですから、プレゼントを隣の人に渡すときに粗相をしたり、中身を壊してしまったりしますよね。そんなとき、"親"が面倒をみてあげるわけです。「もう、ダメじゃないの」と言いつつも、子どものポケットに入っている小銭を罰として徴収します。

すみません。妄想が過ぎました。言いたかったのは、実際の世界でも、AからG国、消費国のあいだで取引が行われるたびに、必ずお金が発生するということでした。そして、その"狭間"を何らかの手段で繋ぐ必要がありますので、ロジスティクスを業者に依頼します。航行上のリスクを鑑みた場合に、保険も必要となるかもしれません。決済手段も考えなければなりません。与信調査もしなければなりません。

極論を言ってしまえば、「無くなるのは、税金と国家の介在価値」であって、結局は、「"国を跨ぐ行為"には、多くのコストがかかる(=オカミ(親)に対する"ショバ代"は、無くならない)」わけです。それを、頭の良い方々は、「自由貿易協定」などと持ち上げ、あたかも「みんなが、"それ"で幸せになれる」ような言い方をしますが、果たして"そう"なのでしょうか。日本は、TPPで幸せになれるのでしょうか。

モノづくり大国を再興することはできるのでしょうか。戦略物資としての金属資源の権益を守ることはできるのでしょうか。国体を維持することはできるのでしょうか。

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