10/22/2020

まあ、うちは、○○さんの買値にあわせて仕入れするから

本来、やらなければならないことから逃げています。本日は、完全なる曇天。日に日に寒さが増します。そんな下がる士気とは裏腹に、銅相場は"パキッ"と仕事をしてくれています。よくわかんない山勘ですけど、COMEX@3.1のライン超えは、しばらく続いてくれるんじゃないですかねえ。相場関連のニュースをみていると、「供給不安ガー」だの「中国の需要ガー」という論調で各社足並みを揃えています。

こういった情報をつぶさにチェックされている関係者の皆様におかれましては、当然の理解であるかと思いますが、「その供給なり、需要を"創出"しているのは、どこの資本なのか」ということです。まあ、どこの誰かということまでは、わかりませんが、要は「実態の把握は不可能に近いし、おおよそ相場なんぞ、つくられたものだ」ということではないでしょうか。我々は、"ポスト・トゥルース"の時代に生きております。本当に大切なのは、「情報の真贋を見極める」ということだと考えています。「大きな会社の人が言っていることが、すべて正しい」で済まされる時代は終わったのです。

昨今、非鉄金属スクラップ業界で話題になっている、中国の金属"原料"に対する規制の件ですが、巷では「おーい、みんな!やべえゾ。11月から新制度が始動するらしい!急いで臨戦態勢に入れ!」みたいな大手発信のポジション砲に躍らされた、陳腐な情報が跋扈(ばっこ)しています。そして、その"大手情報"に翻弄される方々は、なんの根拠もナシに「いよいよか」と固唾をのんで情勢を伺っています。一方で、"大手勢"とは一歩ぐらい後ろで様子を伺う関係者一般に至っては、「まあ、うちは、○○金属さんの買値にあわせて仕入れするから」と、そこまで焦りはないように見聞きしています。

誰がいちばん困っているのか

今現在、今般の新規制適用に伴って、戦戦恐恐とされているのは、恐らく現物のポジションを大量に抱えている業者ですよね。かつての雑品(旧7類)が輸出できなくなり、これまで抱えていた在庫のヤマの消化に難儀され、その後、大きな商圏(利権)を失い、値の張る"コモディティ商売"に鞍替えされた方々です。悩みの中心は、特に"miscellaneous(雑多な)"な要素が強い商材ではないでしょうか。例えば、異物・異材付きの真鍮屑(コミチュウ)やら、銅屑(コミドウ)です。

筆者の"勝手な"視座は、このようであります。

「新制度スタートが思ったより早い」というのは詭弁

なぜならば、「中国は4月に、輸入要件を満たしていない固形廃棄物の返還と処分について、運送業者と輸入業者に責任を負わせる法律を9月から施行することを可決した」はずだし、「ドイツのコンテナ船会社ハパグ・ロイド(HLAG.DE)は、新法を遵守するため、9月1日以降に到着する中国向けの金属スクラップを含む固形廃棄物の貨物の受け入れを停止すると顧客に通知したと発表した」という事実があるからです。その"情報"は、6月22日にロイターからもたらされました。当時の筆者の思いは、『中国に"廃棄物"を送るのやめるってよ(罰則つき)』に綴りました。

中国は、前広に今般の新規制適用の準備を進めていたということです。そして、なぜに船社は「9月に中国に着くコンテナ」を対象にしたのかと言えば、「一ヶ月ぐらい平気で、コンテナが引き取られない」ことがざらにあり、そこから「空コンテナの返却を待ったり、修繕なんかしていると、二ヶ月ぐらいあっという間」という感性のもとで、11月スタートから逆算した結果だったのではないか、などと事情通のような風情で佇んでみます。

「どんなものだったら"原料"として認められるか、やってみないとわからない」というのは詭弁

なぜならば、「年明けの"大綱"発表時に、基準は明確にされている」からです。手前のデータ上、少なくとも本年の1月23日に確認できた情報には、「"銅線"屑は"RCu-1"として分類し、仕様如何いによってAないし、B、Cとして扱う」とされています。同様に、"銅加工材"屑、"銅米(ナゲット)"屑に関しても、同様の分類方法の下、基準が謳われています。(現行の"大綱"に、それが記載されているのかということは、知る術がないので、わかりません。)

この"大綱"についての思いは、『世界のあちこちで、ポジショントーク砲が炸裂しています』というポストで言及していますので、こちらもあわせてご覧ください。世界情勢ならびに相場動向は、確かに流動的です。ただ、マクロ視点で俯瞰した際、非常に、非情に「既定路線をひた走っている」という事実があります。

感性相場、官製相場、完成相場

少し前の中国における主要精錬所の年間契約上のTC/RCは、損益分岐点を割る水準まで引き下げられていました。そして、銅精鉱の輸入量に関しては、前年同期比10%増でした。採算割れしているのに、なぜそこまでして、必至に鉱石を買い集めるのかといえば、それはもう、"miscellaneous(雑多な)"要素が多分に含まれているからではないでしょうか。ただの石ころだとみなす人もいれば、単なる銅の鉱石だと思う人もいるわけです。人によっては、副産物としての"その他有価物"に期待を寄せます。そして、最終的に、安価で仕入れた"冷材(スクラップ原料)"で、成分を調整して、財務上の帳尻を合わせる。

まったく、よくできたハナシです。本日も、みちるリソースのご意見番の勝手な「あしたの日記」にお付き合いいただき、ありがとうございます。「毎度、ハナシが長いな!」とお思いの方は、下記のブログ村の画像をクリックしてください。次からのモチベーションになりますので、もっと濃く、長いポストを投下します。

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10/20/2020

期待値とポジションについて思うこと

本日も、生憎の中途半端な曇天でございます。娘の学校行事で、一日仕事ができそうにありません。しかしながら、頭は常に「屑を成仏させること」についてフル回転でおります。毎度のごとく、若造のしみったれた理想論ですが、しばしお付き合いください。

はっきり言いますが、環境だのなんだのと、のたうちまわったところで、それは結局、古(いにしえ)から受け継がれた、古くさいマーケティング上の常套句でしかないわけです。手の施しようのない屑を仕入れて、右往左往。終いには、「どこぞの国だったら売れる」とか、「付き合いで、"どうにか"してもらっている」というのは、ビジネスとしての金属再生ならびに、真の意味でのリサイクルとは言えないわけです。いつか、"ボロ"が出ます。

我々のような零細企業風情が、こんなことを言うのも、大変おこがましいことですが、"商品"として流通させる以上、完成した時点で、「バイヤーがよだれを垂らして寄ってくる」ような"クズづくり"をしたいものです。少なくとも、お互いにニコニコして、「"クズ"を見送り、"商品"を迎え入れる」ような商売の関係を構築すべきだと考えています。しかしながら、時と場合によっては、相場、立場の如何によって、「妥協すべきこと」、「どうしても許容できないこと」が生まれます。その"塩梅"とでも言いましょうか、"機微"をうまくコントロールできる人間が、商売上、成功していくのではないか。そのように考えるべきなのかもしれません。

通信機器をバラして思うこと

今朝方、それとなく"通信ハブ”と書かれた通信機器をばらしてみました。内部の構造を確認するためです。結果、どうしようもないぐらい"スカスカ"でした。基板屑コレクターにとって、色んな観点があると思いますが、少なくとも「化けるか」という前提条件では、個人的な見解では、「これは、そこまで化けないな」という判断を下さざるを得ませんでした。要は、筆者の"期待値以下"だったのです。

仲間(同業者)から、「通信"系"の基板があるから、見積もりして欲しい」などと頼まれれば、それはもう、よからぬ期待を抱きます。なぜかと言えば、「通信基板には貴金属"類"が多く含まれている」という通説があるからです。総じて、流通単価も高い。そして、一般的に、"テレコム系"なんかは特に、"出所"も明確であり、発生量も想定しやすい。言うなれば、「コモディティたり得る要素が大きい」ということです。

そういったことからも、よくよく考えてみればわかることですが、「通信系の基板在庫を大量に抱えている」という条件下では、セラーの期待値も高いし、大方、競合が多い(=それを欲しがっている人間がいる)中で、"それ相応の単価"で期待に応えなければならないという、半ば"使命"のようなものがつきまといます。市場参加者みんなが、「高く売れるだろう」とわかっている(=認知されている)からであります。

過度の期待はしない、通過点にならない

この小さな小さな経験を通して、改めて痛切に実感したことがあります。それは、「期待するな」ということと、「ハブで終わるな」ということです。前者に関しては、非常に明白な事実でありますが、人間の性(さが)とでも言いましょうか。なんとなく、わかりつつも、「あの人だったら大丈夫」だとか、「これだったら、これぐらいの価値が出るんじゃないか」などと過度の"想い"を寄せてしまいます。こればかりは、一生やめられないのでしょう。

後者の「ハブで終わるな」ということの真意は、またハナシが飛躍してしまいますが、「誰それ(A)と誰それ(B)の"架け橋"になる」という思想へのアンチテーゼに繋がります。通信機器としてのハブというものは、結局のところ、「通信のやりとりを寄せ集めて、適所に分配する」ということでしかありません。同様に、"架け橋"というものも、「A点とB点を結びつける」ということの意味しか付与されません。商売上の意味合いとしては、「通行料を徴収するため」の"それ"なのでしょうが、「橋が壊れてしまう(=メンテナンスが必要)」こともあるし、必ずしも「AとBを結びつける意義が未来永劫続く」とも限りません。大概の場合、新しい流通チャンネルが構築されますし、技術の進歩が起きることで、その"流れ"自体が必要ではなくなることも往々にしてあります。要は、ハナシが長くなりますが、「通過させるだけの商流は、陳腐化する」ということであるし、いずれ、「介在価値が無くなれば、淘汰される」ということです。

昨今のトレンドで言えば、自動車業界における部品メーカーの「"系列依存"からの脱却」だとか、それに伴う、「中小零細部品メーカー(下請け)の困窮」なんかも、そういったハナシに繋がるかもしれません。当業界に近しい分野では、ハーネスメーカーの「"銅依存"からの脱却」も、積極的に推し進められている、いわゆる"パラダイムシフト"の一環であります。アジアの金融のハブとして、確固たる存在を示していた香港、シンガポールの現在の姿をみても、「ハブは所詮、利益を創出するための装置でしかない」ということが、はっきりとみえてきます。

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10/18/2020

非鉄金属スクラップマーケットとベースメタル相場の乖離

前回のポスト『割安感強い金属スクラップ相場、ババを引くのは誰か』にて、「銅(現物)担保の裁定取引から、いくつかの金融機関が"店じまい"している」というハナシをしました。

筆者が信頼を寄せる、FastmarketsのArchie Hunter氏によると、昨今の当該ファイナンス事情は、相当に逼迫している状況らしい。

コモディティの世界では今年、シンガポールやドバイのエネルギーや農業トレーダーを中心に、金融機関に対する債務不履行が相次いでいる。 ABNアムロ、ラボバンク、HSBC、BNPパリバ、ソシエテ ジェネラルなどの銀行はすべて、このセクターからの撤退を公に認めていますが、他の銀行もまた、新たな与信枠を発行したり、わずかなリスクであっても取引に関与したりすることを警戒しています。 "今は誰もが怯えており、アジアでコモディティ・トレード・ファイナンス事業を見直していない銀行はほとんどないと言っていいでしょう」と、名前を伏せたあるトレード・ファイナンス関係者はFastmarketsに語った。 現在も上海向けにレポやインベントリーファイナンスを提供している主な市場参加者は、JPモルガン、ICBCスタンダードバンク、ING、コモンウェルスバンクオブオーストラリアなど、複数のFastmarketsの情報筋から引用されています。

参照:Deep L翻訳

原文: "Shanghai's billion-dollar metal hoard under spotlight as banks depart from repo deals"

暴論になりますが、昨今の非鉄金属スクラップ相場(特に銅)のベースメタル相場との乖離は、「中国の輸入規制云々だとか、実需云々といったハナシ以前に、それらを動かすトレーダーが資金調達ならびにリスクヘッジに難儀していること」による影響の方が大きいのではないでしょうか。

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10/16/2020

割安感強い金属スクラップ相場、ババを引くのは誰か

そこはかとなく、当ブログで言及してきた戯言(たわごと)が現実となっています。あまり詳しいことを書くと、このような後ろ向きな時代に対する嘲笑のように映ってしまうので、それとなく、当たり障り無く、しれっと、いつものように、まったり"通なハナシ"をしたいと思います。

相場関係者ならびに、非鉄金属スクラップ業界に携わる皆々様におかれましては、さぞかし「実体との乖離」という、これまであまり体験することのなかった不思議な現象に悩み、苦しんでおられることかと存じ上げます。

手前の商売におきましても、時代の激流に飲まれ、辛酸を浴びるように嘗める日々でございます。ああしたらどうだろう。こうしたらどうだろう。工夫を積み上げ、少しでも利益を残したいと思いながら、日々の業務に追われる。ひたすら。

王道をひたすら邁進すれば、大きな利益が待ち構えている

聞くところによると、当業界における"老舗"と"その他"のあいだには、大きな隔たりが生まれているようです。これまでも、その"ギャップ"は確かに存在しました。だけれど、そこはなんとなく、「モノが流れる」ことで利益は循環し、その大きさの多寡は別としても、ある程度、「みんなハッピー」であったものと理解しています。

ただ、ここにきて、"流動性"が鈍くなってしまった。工場の稼働が著しく低下してしまった。メーカーが金属原料を買い控えるようになってしまった。深読みをして、誰しもが「突っ込むこと」を躊躇うようになった。

そして、今なにが起こっているかというと、「"需要家サイド"の収穫期」です。これまで、散々、輸出向けのスクラップ原料の値段に争う姿勢をみせ、「商圏の死守」に勤しんでいた"彼ら"が、今や「たわわに実った果実を、自分たちのペースで刈り取る」ことに躍起になっております。

立場が違うと言われれば、まあそうかもしれないけれど

確かに、商売をやっていく上で、紆余曲折色んな局面があって、需給バランスも日々変わります。時代の機微を読み取ることは、難しいのでしょう。ゆえに、原料購買のスタンスが適宜、改められるのは、当然のことなのだと思います。それが「時代の変化」であると、よく理解しているつもりです。

ただ、これまで「相場モノを扱う特性上、原料を供給する側、消費する側で"痛み分け"をして、安定的な供給/消費に繋げましょう」といった、"ずぶずぶな関係"をよしとしてきた雰囲気に対して、「(需要家サイドが)無理して高い値段出して買う必要がない」からといって、「ごめんなさい!今月は、もう荷受けできません」だとか、「来月から、○○の購入料率を大幅に下げます」といった"暴挙"に出ることの"おぞましさ"やいかに。

端的に言うと、「足元を見る」という行為です。先方は、そんなつもりはないのでしょうが、現実はそのようであります。卑近な例で恐縮ですが、消費税を2%上げるだけでも、精神的なインパクトは大きいはずです。日夜、数パーセントの利益率で鎬(しのぎ)を削り合っている我々が、「なんか安すぎやしないか」と訝しがる現状。「本当に儲かっているのだろうか」と不安になる日常。これは、異常です。

発想の転換に迫られる今

一方で、こういう見方もできるかもしれません。これほどまでに、誰しもが"現実"に打ちのめされ、"思い通り"にいかないということは、「"やり方"が間違っているのかもしれない」ということです。よく、「所詮、スクラップはスクラップである」と言われます。

"二号銅"がダメなら、"込銅"もありますし、"銅品位96%の故銅"でもいいわけです。もし、銅パイプ単一であれば、"並銅"でもよいわけです。程度が悪ければ、"下銅"だと言われるかもしれません。海外に出れば、"Candy"だと言う人もいれば、"Cliff"だと判断する人もいます。

要は、「取引をする当事者達が"よし"とすれば、"それ"の名前はなんでもいい」わけです。これまで、ウェブサイトに小綺麗な写真を掲げ、「こんな感じなら、○○円/kg(税込)」といったカタログ商売を"当たり前"としてきた我々にとって、今まさに、商品の"真価"を見極めるちからの有無が、"儲け"の多寡に直結します。

蛇足

噂では、大陸での「銅(現物)を担保にした信用取引の取扱量が増えている」というハナシを聞きます。一方で、賢明な金融機関は、そういった「浮ついた商売から距離をとっている」とも。仮に、前者が本当であれば、世界のどこかの倉庫に、実需に紐付かない金属のヤマがあります。もし、後者も事実であるとするならば、この手の"官製相場"は、いつか本心を現します。誰が、最後にババを引くのか。

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10/04/2020

UIと非鉄金属スクラップ業界における営業手法の変化について

先日、とある業界の有名人の発言に衝撃を受けました。また、お前は、金属スクラップと関係のない、取り留めの無いハナシを、グダグダやるのか、などとお叱りを受けそうですが、はい。そのような"ハナシ"でございます。

「UIというのは、"User Illusion"である」

この発言を聞いた瞬間、まったく理解できませんでした。しかし、反芻することで、真意が垣間見え、最終的に、パキッとピントのキマった映像が眼前に現れました。

この"UI"というのは、"User Interface"の略であると学校で教えられています。卑近な例で表すと、我々は、スマホの画面(=Interface)を介在して、動画を観たり、文字を送受信して、「あたかも手の中に、その情報(=Information)が"ある"」かのように振る舞います。その体験が自然(=使いやすい)であればあるほど、いわゆる"UX(User Experience)"の良さに直結するのです。これが、一般的な概念であると思っていました。

しかしながら、これは「間違ってはいないけど、概念の真の理解には至っていない」と氏は言います。

人間の想像力には、限界がある

筆者の拙い理解力が、そこに及んでいるのかさえ、よくわかりませんが、要は「そもそも、パソコンのデスクトップって、なんで"机の上"を模しているんだ?」ということです。もっと言ってしまえば、「iPadの原型って、ドラ○もんの世界で、いくらでも登場するよな」ということです。わかりにくいでしょうか。ここからは、筆者の邪推ですが、「人間の"創造力"が乏しいから、何十年前のコンセプトを模倣したような"道具"しかつくれないのではなく、人間の"想像力"が乏しいから、既に存在する実体の上にしか、"体験"を投影できない」のではないでしょうか。だから、稀代のデザイナーは、一般人が親しみを覚える介在物(=Interface)を使って、実際には目に見えない情報(=Information)を、我々の眼前に投影する(=Illusion)ことに長けている。ゆえに、"一流"という評価を得ている。そのように考える次第です。

このハナシは、単なるハイテク業界の戯れ言では済まされません。商売全般に当てはまるものと、筆者は理解しています。陳腐な言い方ですが、「顧客満足度を向上させ、リピーターをつくる」ということは、UXの追求と合致します。UXの創造は、「顧客との折衝を担う気骨のある営業パーソン(UI)を育成しよう」という安直なハナシに繋がりがちです。"旧時代"は、このような思想のもと、「腕力のある社員がいれば、売れる(買える)」のだと信じていました。右肩上がり時代の"売上至上主義"の悪い部分です。売れる(買える)ときは、それでいいですが、調子が狂い始めると、会社は「売上が落ちているのは、営業がたるんでいるからだ」と言い始め、「どこにいるか、アプリで監視しよう」というハナシになります。こういった視野の狭い、精神論で「どうにかなる」と思っている経営者の下で働くことは、とても苦痛です。

事の本質は、営業パーソンにあるのではなく、いわゆるコンテンツというか、"中身のなさ"が買い手(売り手)に見えてしまうことにあるのだと思うのです。

売れないなら、どうやって売るのか

卑近な例で恐縮ですが、「ピカ線の○○円落ちなら買える」という営業文句で、2号銅を買い集めている会社があったとします。そして、昨今のような相場の崩壊が起きたときに、当然のごとく、今までの○○ではなく、△△という価格差に変わるわけです。また、品質に対する要求事項も変わってくれば、これもまた当然のごとく、「これまで扱えたモノが、これから扱えなくなる」わけです。

顧客は、そういった変化に対して、"真っ当な根拠"なり、"妥当な理由"を「どのように説明するか」といったところに注視しています。倫理的に正しいかとか、中国がどうのこうのというのは、率直なところ、「この人と商売をするか否か」という二者択一の状況下では、重要な情報たり得ません。多くのバイヤーと対峙する、売る側の人間にとって、左記のような"ありふれた言い訳"は、正直なところ、「言われなくとも、そんなことはわかっている」ことなんだと思います。だからこそ、「じゃあ、どうするのか」という提案が必要となります。

高く買えなくなったらお終いだよね

この業界では、至極シンプルに「価格が正義」であります。全国で似たような値段が一人歩きしているうちは、"それ"は問題なく売れるわけです。実際のところ、「中国のライセンスがどうのこうの」とか、「国内の製錬が炉の修理に入った」とか、そういったハナシは、所詮、買う側の論理でしかありません。

「安く買えそうだ」という思惑が生まれれば、そこに商機を見出して、妥当な値段で買う人間が現れるわけです。そして、もっと買い集めたい人間は、それ以上の単価を提示して、攻勢をかける。それが市場原理です。ただし、どんなにあがいても、それを"その規格"で売り買いしようとするのであれば、"それぐらいの値段"が相場となります。

もし、飛び抜けた値段で買う(売る)人がいるのであれば、「それをそれとしてみていない(=それ以上の価値がある)」ということでしかありません。つまり、なんらかの思惑があって、相場以上の値段で売買するわけです。

マーケットを創るチカラ

仮に、その"目利き"が正しいのであれば、それは利益の源泉となります。つまり、価格優位性が、環境(需要家との関係性が強いとか、地理的に近いとかではなく)にあるのではなく、商品自体にあるわけです。筆者の解釈では、そこに"Illusion"が起きているのです。

買い手(User)は、A社の販売する商品の付加価値に気づかされ、「ああ、これなら多少高くても、いいかも」と思ってしまう。だから、高く売れる。仮に、B社が"同じようなモノ"を売ったとしても、そこには"Illusion"がないから、いわゆる"そこそこの値段"でしか売れない。

恐らく、両社の商品には、機能上の問題はないんだと思います。ただ、使う側(User)が、「A社の原料(商品)を使っていると、製品不良が少ないような気がする」と思い始めたときに、「B社の原料は使いづらい」という心理的な刷り込みが起きます。金属原料を扱う現場では、殊にこういった現象が起きます。これを"Illusion"と呼ばずして、なんと呼ぶのか。

ヒリヒリする消耗戦

毎度のごとく、前置きが長くなりましたが、要はこういうことではないでしょうか。このような混沌の時代において、「顧客との接点(=Interface)を闇雲に増やすことは、永続的な利益の創出には結びつかない。」

だって、これまでだって、「"あるのかないのかさえわからないような薄い口銭"を稼ぐために、大きな資金をぶん回して、時折、天から降ってくる"恵み(利幅の大きい商材)"に感謝をしながら、常に戦々恐々とライバルの動向を伺うような商売」をやってきたわけです。我々含む、この業界における先達も。

今、この"どこまで続いているのかわからない干潟"は、どんどん干上がっています。そんな中、得体の知れない屑屋を巡りに巡って、「こんちわー。金属スクラップ、高く買います!押忍」だとか、仏頂面(ぶっちょうづら)のメーカー購買マンに「量を集められるように頑張りますので、うちの原料買ってください!押忍」は、いつまで続けられるのでしょうか。

これまで、幾度となく申し上げてきたことですが、今はまさに"淘汰の時代"であります。淘汰されるのか、淘汰するのか。淘汰されないように自己を変化するのか、淘汰するために他者を変化させるのか。必ずしも、"淘汰"が事業的な敗北となることもないでしょう。色んな考え方があるかと思いますが、筆者は、「淘汰されることで自由が奪われるのであれば、徹底的に抗う」といった姿勢でおります。

これまでの"淘汰"に対する筆者の考えは、以下のポストに表れていると思うので、もしよかったら、バックナンバーもご覧ください。

https://www.michiru-resources.com/search?q=淘汰

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