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人が生み出すなにか

日本という国を客観的に見たときに、現在も未来もそうだけれど、「そこまで魅力ある国かどうかの是非」をまずすべきじゃなかろうか。内向きな役人が、「最低賃金ぐらい与えておけば、“発展途上国”の奴らなら働きに来るんじゃね?」的な牧歌的思想が垣間見えるのは、私だけでしょうか。 参照: 外国人、単純労働にも門戸政府案「25年に50万人超」 ヒトを惑わすのは、カネに違いないでしょう。だけど、私はヒトを魅了するのはヒトが生み出すなにか(熱気、熱意、愛情、文化)だったり、ヒト自身であると信じています。 ヒトが結びつくことで、人となり、“なにか”を再生産する機会を得ます。社会の結びつきが強くなることで、また新たなヒトを呼び込む磁力のようなものを帯びるようになります。 この制度改革が、奴隷的労働者の確保のみを目的とするならば、それは間違っていると思います。「日本語わからなくてもいいよ。仕事さえしてくれれば」というのは、交わりを拒んでいることの証左、諦めの表れです。

きな臭い感じ

前回の投稿から、だいぶ月日が経ってしまいました。そうこうしているうちに、中国向け第7類禁止がサクッと決まりました。 既定路線、そのように表すしかないはずです。 巷の関係各位におかれましては、昨今の潮流の変化に右往左往されている方、いやいやそんなことはどこ吹く風、泰然自若とされている方、そのどちらか二極、明確に大別できます。比率で申し上げると、前者6の後者4でしょうか。 さらに細やかに分類すると、前者のなかにも、右往左往としながらも「目指すべき落としどころ」や「投資の目処」が既に決まっているところ、対照的に、いやはやどうしたもんか、「なにをすべきか」検討もつかないところ、その二種に分けることもできましょう。 後者の泰然自若とされている向きの方々におかれましては、もう既に「詰んだ」か「リサイクルなんてやっていかなくとも、他でメシのたねがありますから(不動産)」といった風情でしょう。 戦国時代の幕開け 私は、このように考えます。「大局的な視野で物事を捉え、流動的に行動ができないと、飢え死に至る」と。強いて言うならば、世界情勢の趨勢、めまぐるしく変化する国際条約・規制などに対する理解と、アメーバのごとく形態を変化させていく柔軟さです。 戦国時代といえど、今の段階では、同業他社との競合に晒されて疲弊し、戦力を失うことはないと思います。それよりも、オカミから与えられる締め付けやら、資金繰りが難しくなることによる“手詰まり”由来の失敗が積み重なり、満身創痍の身体で野垂れ死ぬケースが増えてくるのではないでしょうか。(=飢えによる淘汰) さらに時代が進むことによって、どうでしょう。もっともっと、過酷な様相を呈すことになるでしょう。 まず、これまでなんとかうまくやってきた同業他社との小競り合いが激しくなり、少しずつ淘汰される企業も増えるでしょう。(=競合による淘汰) 次に、ある程度成熟した競合による労働資源の囲い込み、調略、ヘッドハンティング。産業構造の変化に伴う、業態の見直しも尋常ではないスピードで求められることでしょう。(=構造の変化に伴う淘汰)