UIと非鉄金属スクラップ業界における営業手法の変化について

先日、とある業界の有名人の発言に衝撃を受けました。また、お前は、金属スクラップと関係のない、取り留めの無いハナシを、グダグダやるのか、などとお叱りを受けそうですが、はい。そのような"ハナシ"でございます。

「UIというのは、"User Illusion"である」

この発言を聞いた瞬間、まったく理解できませんでした。しかし、反芻することで、真意が垣間見え、最終的に、パキッとピントのキマった映像が眼前に現れました。

この"UI"というのは、"User Interface"の略であると学校で教えられています。卑近な例で表すと、我々は、スマホの画面(=Interface)を介在して、動画を観たり、文字を送受信して、「あたかも手の中に、その情報(=Information)が"ある"」かのように振る舞います。その体験が自然(=使いやすい)であればあるほど、いわゆる"UX(User Experience)"の良さに直結するのです。これが、一般的な概念であると思っていました。

しかしながら、これは「間違ってはいないけど、概念の真の理解には至っていない」と氏は言います。

人間の想像力には、限界がある

筆者の拙い理解力が、そこに及んでいるのかさえ、よくわかりませんが、要は「そもそも、パソコンのデスクトップって、なんで"机の上"を模しているんだ?」ということです。もっと言ってしまえば、「iPadの原型って、ドラ○もんの世界で、いくらでも登場するよな」ということです。わかりにくいでしょうか。ここからは、筆者の邪推ですが、「人間の"創造力"が乏しいから、何十年前のコンセプトを模倣したような"道具"しかつくれないのではなく、人間の"想像力"が乏しいから、既に存在する実体の上にしか、"体験"を投影できない」のではないでしょうか。だから、稀代のデザイナーは、一般人が親しみを覚える介在物(=Interface)を使って、実際には目に見えない情報(=Information)を、我々の眼前に投影する(=Illusion)ことに長けている。ゆえに、"一流"という評価を得ている。そのように考える次第です。

このハナシは、単なるハイテク業界の戯れ言では済まされません。商売全般に当てはまるものと、筆者は理解しています。陳腐な言い方ですが、「顧客満足度を向上させ、リピーターをつくる」ということは、UXの追求と合致します。UXの創造は、「顧客との折衝を担う気骨のある営業パーソン(UI)を育成しよう」という安直なハナシに繋がりがちです。"旧時代"は、このような思想のもと、「腕力のある社員がいれば、売れる(買える)」のだと信じていました。右肩上がり時代の"売上至上主義"の悪い部分です。売れる(買える)ときは、それでいいですが、調子が狂い始めると、会社は「売上が落ちているのは、営業がたるんでいるからだ」と言い始め、「どこにいるか、アプリで監視しよう」というハナシになります。こういった視野の狭い、精神論で「どうにかなる」と思っている経営者の下で働くことは、とても苦痛です。

事の本質は、営業パーソンにあるのではなく、いわゆるコンテンツというか、"中身のなさ"が買い手(売り手)に見えてしまうことにあるのだと思うのです。

売れないなら、どうやって売るのか

卑近な例で恐縮ですが、「ピカ線の○○円落ちなら買える」という営業文句で、2号銅を買い集めている会社があったとします。そして、昨今のような相場の崩壊が起きたときに、当然のごとく、今までの○○ではなく、△△という価格差に変わるわけです。また、品質に対する要求事項も変わってくれば、これもまた当然のごとく、「これまで扱えたモノが、これから扱えなくなる」わけです。

顧客は、そういった変化に対して、"真っ当な根拠"なり、"妥当な理由"を「どのように説明するか」といったところに注視しています。倫理的に正しいかとか、中国がどうのこうのというのは、率直なところ、「この人と商売をするか否か」という二者択一の状況下では、重要な情報たり得ません。多くのバイヤーと対峙する、売る側の人間にとって、左記のような"ありふれた言い訳"は、正直なところ、「言われなくとも、そんなことはわかっている」ことなんだと思います。だからこそ、「じゃあ、どうするのか」という提案が必要となります。

高く買えなくなったらお終いだよね

この業界では、至極シンプルに「価格が正義」であります。全国で似たような値段が一人歩きしているうちは、"それ"は問題なく売れるわけです。実際のところ、「中国のライセンスがどうのこうの」とか、「国内の製錬が炉の修理に入った」とか、そういったハナシは、所詮、買う側の論理でしかありません。

「安く買えそうだ」という思惑が生まれれば、そこに商機を見出して、妥当な値段で買う人間が現れるわけです。そして、もっと買い集めたい人間は、それ以上の単価を提示して、攻勢をかける。それが市場原理です。ただし、どんなにあがいても、それを"その規格"で売り買いしようとするのであれば、"それぐらいの値段"が相場となります。

もし、飛び抜けた値段で買う(売る)人がいるのであれば、「それをそれとしてみていない(=それ以上の価値がある)」ということでしかありません。つまり、なんらかの思惑があって、相場以上の値段で売買するわけです。

マーケットを創るチカラ

仮に、その"目利き"が正しいのであれば、それは利益の源泉となります。つまり、価格優位性が、環境(需要家との関係性が強いとか、地理的に近いとかではなく)にあるのではなく、商品自体にあるわけです。筆者の解釈では、そこに"Illusion"が起きているのです。

買い手(User)は、A社の販売する商品の付加価値に気づかされ、「ああ、これなら多少高くても、いいかも」と思ってしまう。だから、高く売れる。仮に、B社が"同じようなモノ"を売ったとしても、そこには"Illusion"がないから、いわゆる"そこそこの値段"でしか売れない。

恐らく、両社の商品には、機能上の問題はないんだと思います。ただ、使う側(User)が、「A社の原料(商品)を使っていると、製品不良が少ないような気がする」と思い始めたときに、「B社の原料は使いづらい」という心理的な刷り込みが起きます。金属原料を扱う現場では、殊にこういった現象が起きます。これを"Illusion"と呼ばずして、なんと呼ぶのか。

ヒリヒリする消耗戦

毎度のごとく、前置きが長くなりましたが、要はこういうことではないでしょうか。このような混沌の時代において、「顧客との接点(=Interface)を闇雲に増やすことは、永続的な利益の創出には結びつかない。」

だって、これまでだって、「"あるのかないのかさえわからないような薄い口銭"を稼ぐために、大きな資金をぶん回して、時折、天から降ってくる"恵み(利幅の大きい商材)"に感謝をしながら、常に戦々恐々とライバルの動向を伺うような商売」をやってきたわけです。我々含む、この業界における先達も。

今、この"どこまで続いているのかわからない干潟"は、どんどん干上がっています。そんな中、得体の知れない屑屋を巡りに巡って、「こんちわー。金属スクラップ、高く買います!押忍」だとか、仏頂面(ぶっちょうづら)のメーカー購買マンに「量を集められるように頑張りますので、うちの原料買ってください!押忍」は、いつまで続けられるのでしょうか。

これまで、幾度となく申し上げてきたことですが、今はまさに"淘汰の時代"であります。淘汰されるのか、淘汰するのか。淘汰されないように自己を変化するのか、淘汰するために他者を変化させるのか。必ずしも、"淘汰"が事業的な敗北となることもないでしょう。色んな考え方があるかと思いますが、筆者は、「淘汰されることで自由が奪われるのであれば、徹底的に抗う」といった姿勢でおります。

これまでの"淘汰"に対する筆者の考えは、以下のポストに表れていると思うので、もしよかったら、バックナンバーもご覧ください。

https://www.michiru-resources.com/search?q=淘汰

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