「わけること」が人間のサガであり、そしてまた堂々巡り

アートは時代を読む

ベルギーのBuscemiさんのアルバム『Retro Nuevo』を聴きながら作業しています。このタイトル「新しき(Nuevo)、懐古(Retro)」という表現は、非常にシンプルでありながら、上質であると思います。人間の生み出す文化は、常に原点に戻ることを拒みながらも、結局は同じようなところに着地して、その時代に沿った"新しさ"と結合して、"新たな文化"として受容され、再生産されているのだと思います。

巷では、いわゆる"ジャンル"の垣根を少しだけ跨いだ、"クロスオーバー"なものが、あたかも「斬新であり、時代の先端をゆく」と捉えられがちですが、果たしてそうでしょうか。そもそも、その"ジャンル"とは、誰がなんのためにつくったのでしょうか。なにかを「売るため」でしょうか。「テリトリー(利権)を明確にするため」でしょうか。

おそらく、「わけること」は、人間の性(サガ)なのでしょう。そしてまた、いつまでたっても堂々巡りをやめることができない業(ゴウ)の深さ、我々の能力の浅はかさ、その"限界"が思いの外、自分たちの手の届く範囲に留まっていることの現実は、今般のウィルス騒動で浮き彫りになりました。



限界と変化の波

昨今、政府から給付されるものが、あーだこーだ、外国ではいくら支払われて云々等、様々なウワサが飛び交っています。ひとつ間違いなく言えるのは、日本国の役人さんや、議員の先生方も、「精一杯、自分の"できる範囲で"頑張っている」ということだと思います。

左記の"限界"に繋がる話ではありますが、「それ以上は、やろうと思っても、色んな足枷や能力の問題で、できない」のです。国難に陥った時に、絶対的なリーダーシップを発揮できる人物が仮にいたとしても、それを許容できない、日本的システムの問題が、そこに大きく横たわります。

毎度、手前味噌で恐縮ですが、2018/05/30付『きな臭い感じ』にて、今後進むであろう「大手による寡占化(第二フェーズ)」について、下記のように言及しました。

ある程度成熟した競合による労働資源の囲い込み、調略、ヘッドハンティング。産業構造の変化に伴う、業態の見直しも尋常ではないスピードで求められることでしょう。(=構造の変化に伴う淘汰)

第一フェーズとしての「業者間の小競り合い」は、思いの外激化せず、足元は、むしろ小康状態にあると考えています。筆者は、「やべー!モノが売れない!」という暗雲が一気に立ち込め、皆さんそれぞれが、暗中模索の真っ只中にあり、よその面倒なんてみれないからこそ、そこまで小競り合いが起きていないのではないかと考えています。

これから、設備投資をする企業は非常に少ないでしょうし、増員も同じように難しいと思います。ただ、カネに余裕のないトコロから、人材が流出することは不可避でしょう。当然のごとく、余裕のあるところは、経験者を刈り取りにかかるでしょうし、実績と貯蓄のある個人は、独立に走るかもしれません。いずれにせよ、商圏が乱れます。そんな状況に陥ってしまえば、さらに皆が疑心暗鬼になり、悪循環がはじまります。

かつて銅の相場は30万円以下

さらに言ってしまうと、この負の連鎖を一層加速させてしまいかねない不安要素があります。もうひとつのブログ(note)内にて、『銅(炭鉱のカナリア Dr.Copper)の値段が1キロ550円になりました。』という記事をポストしました。

要旨は、ただひとつ。「ほんの20数年前は、銅の建値が30万もいかなかったし、その状況が5年近く続いた」ということです。問題は、左記のような状況にならないまでも、仮に「相場が"低価格"かつ"低ボラ"である状況、強いて言えば、モノが売れない時代が長く続いたら」、中小零細企業の問題だけでなく、業界を揺るがすほどの大きなインパクトたり得るということです。また、変化のスピード如何によっても、影響の大きさが変わってくることは、間違いありません。

誰のためのソレ

アメリカの政府高官が、「グローバル・サプライチェーンからの脱却」を声高に宣言したというハナシを聞きました。そして、某国が「マスクを送る代償として、政治的な配慮を要求した」というハナシも聞きました。結局、人間なんて、そんなもんですよね。漠然とした表現で恐縮ですが、「良いときは良いし、悪いトコロは見ない」んです。地球はひとつだの、なんだのとカッコいいことは言えても、「この際だから、国だとか、国境の類は廃止しましょう!みんなで協力して、住みやすい地球をつくりなおしましょう」とは誰も言わないわけです。

そもそも、その"国境"とは、誰がなんのためにつくったのでしょうか。なにかを「売るため」でしょうか。「テリトリー(利権)を明確にするため」でしょうか。



今後の非鉄金属スクラップにおけるトレンド展望

筆者としましては、やはり「雑多な混ざりものを、いかに価値あるものに仕上げるのか」ということに主眼を置いていきたいと考えています。ある程度の流動性、利幅が見込めることを考えると、やはり業界としても注目せざるを得ない状況にあると考えています。(かつての、「困ったら、第三国へ」は通用しないので。)しかしながら、都内の非鉄問屋さんが、明日から破砕機を入れて、ミックスメタルの選別をするのかというと、それはあり得ません。かつてのように、新規参入者が溢れ、それぞれが設備投資を進め、工業雑品の相場が高騰するのでしょうか。それも、なかなか考えづらいと思います。

ミックスメタルに関しては、本当にピンからキリまで、同じ会社の同じ機械で加工しても、投入母材の違いや、前処理の仕方如何によって、"製品"の品質は、大きく変わります。個人的には、初期投資や設備の管理ノウハウ、母材に対する"目利き"なんかを考えると、なかなか参入障壁は高いものと捉えています。筆者のお付き合いのあるシュレッダー業者さん曰く、「機械を入れたからといって、できるものでもない」とのこと。

ただ、現状、雑線の黎明期とシンクロする部分もあるかと思いますが、一部の業者さんが、「"ミックスメタル"と名のつくもの」を買い漁っているというハナシは耳にします。恐らく、「東南アジアに中国人選別職人を送り込んで、完成品を中国へ送るスキーム」なのでしょうが、本当に長続きするのでしょうか。確かに、人の手で選別することで、"それなり"の付加価値は生まれるのだと思います。しかしながら、「あんなに頑張って、良いものつくったのに、こんなに安い値段でしか売れなかった」といった状況に陥る可能性は、十二分にあります。まあ、最終的には、おそらくですが、その不採算の部分の尻拭いは、ゴミの不法処理でしょう。(かつての雑線の加工ビジネスは、"皮"の旨みがあり、中国では「ゴミが、ゴミではなかった」ために、島国側が思うほど、環境負荷は全然少なかったものと理解しています。)

ミックスメタル界隈も、パチパチと火花が散る局面もあるかと思いますが、虎視眈々と「安く母材を確保し、妥当な値段で"どこにでも"供給できる体制づくり」に邁進してゆきたいと思います。

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