きな臭い感じ

前回の投稿から、だいぶ月日が経ってしまいました。そうこうしているうちに、中国向け第7類禁止がサクッと決まりました。

既定路線、そのように表すしかないはずです。

巷の関係各位におかれましては、昨今の潮流の変化に右往左往されている方、いやいやそんなことはどこ吹く風、泰然自若とされている方、そのどちらか二極、明確に大別できます。比率で申し上げると、前者6の後者4でしょうか。

さらに細やかに分類すると、前者のなかにも、右往左往としながらも「目指すべき落としどころ」や「投資の目処」が既に決まっているところ、対照的に、いやはやどうしたもんか、「なにをすべきか」検討もつかないところ、その二種に分けることもできましょう。

後者の泰然自若とされている向きの方々におかれましては、もう既に「詰んだ」か「リサイクルなんてやっていかなくとも、他でメシのたねがありますから(不動産)」といった風情でしょう。

戦国時代の幕開け


私は、このように考えます。「大局的な視野で物事を捉え、流動的に行動ができないと、飢え死に至る」と。強いて言うならば、世界情勢の趨勢、めまぐるしく変化する国際条約・規制などに対する理解と、アメーバのごとく形態を変化させていく柔軟さです。

戦国時代といえど、今の段階では、同業他社との競合に晒されて疲弊し、戦力を失うことはないと思います。それよりも、オカミから与えられる締め付けやら、資金繰りが難しくなることによる“手詰まり”由来の失敗が積み重なり、満身創痍の身体で野垂れ死ぬケースが増えてくるのではないでしょうか。(=飢えによる淘汰)

さらに時代が進むことによって、どうでしょう。もっともっと、過酷な様相を呈すことになるでしょう。

まず、これまでなんとかうまくやってきた同業他社との小競り合いが激しくなり、少しずつ淘汰される企業も増えるでしょう。(=競合による淘汰)

次に、ある程度成熟した競合による労働資源の囲い込み、調略、ヘッドハンティング。産業構造の変化に伴う、業態の見直しも尋常ではないスピードで求められることでしょう。(=構造の変化に伴う淘汰)

最後のフェーズにおいては、淘汰という言葉はむしろ存在せず、寡占化に伴う独占といったかたちで戦国の世が完結するのではないか、そのように考えています。

なぜそのように考えるのかというと、欧州や北米のマーケットにおいては、いわゆる企業の帝国化が既に進み、上記の“最後のフェーズ”まで至っている現実があるからです。(もっと突っ込んだ話をしてしまうと、その帝国をも中国が食べてしまいました。)

故に、この流れは必然性を孕んだ、不可避の既定路線でしかないのです。

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