未来を創造してゆくための“枝葉”の部分

2月は、まったく当ブログの更新ができませんでした。

端的に申し上げれば、単純に精神的な“余裕”がなかったということなんです。今回のポストにも繋がるハナシでもありますが、未来への先行投資と言いますか、いわゆる研究開発的な仕事に没頭していました。まあ、“投資”だとか、“研究”なんてコトバは、所詮、言い訳でしかなく。言い換えれば、様々な「本来やるべきこと」を後回しにすることであり、足元に転がる商売のネタや情報を絶つ行為です。筆者のような零細個人商店規模で、カッコつける“余裕”は、本来ありません。辛酸を嘗めております。

持続的に“新たに開発”する必要ってあるんだろうか

いわゆる、SDGsというホットワードというか、リベラル思想の一端について、最近思うことがあります。この筆者が抱える一種の“拒否反応”が、反射的な“拒絶”ではないことはご承知ください。ある程度の概要を勉強させていただいた上で、「これを実現したところで、誰が得するのか」という点について、疑念を抱いています。そして、「その開発行為の終着点は、どこに見出しているのか」という点につても判然としないがゆえに、共感できません。

個人的な勝手な解釈で恐縮ですが、これは、結局のところ、「いわゆる先進国(富める)側が、後進国(富めることを許されない)側に押し付ける難題である」と思うのです。仮に、ジェンダーや人種、雇用、教育の機会均等が、後者の社会において本当に実現すれば、前者に引けを取らない優秀な人材が、雨後の筍のように誕生します。そして、熾烈な競争社会の中で、血気盛んな若者が「なにをしてでも、自分はナンバーワンになるんだ」と腹をくくって、国際社会へ繰り出してゆくことになるでしょう。それが、リベラル層の推進する世界です。確かに、表層的な部分では、素晴らしい。ただ、もっと現実的な視座で物事を捉えれば、「すべての人が満足(納得)できる社会」を実現することは難しい。

個人的には、この手の“崇高なる理想”には、“格差”の匂いを感じざるを得ません。キャプションをつけるなら、「おい、お前ら。確かに、チャンスは平等に与えるとは言ったけど、俺たちの庭に入るなら、俺らがつくったルールはしっかり守れよな。あと、権益の泉に近づくなら、俺らがつくったテストに合格してからだな」といった、前者から後者への当てつけです。

例えば、某経済紙で選出される「世界を変えるほどの影響力を持った100人」は、これからも100人なわけです。同様に、「国際政治における真のキーパーソン」は、いつまでたっても、同じような顔ぶれなわけです。

要は、どんなに優秀な人材が「世界を変える」と謳ったとしても、既得権益層の壁に阻まれ、結局は潰されるわけです。ゼロサムゲームの土俵には、必ず“ガワ”があり、“ワク”があります。両側が仲良く手を繋いで、均等に“トク”をすることは絶対にないし、ましてや、その“ヨロコビ”にも限りがあります。果たして、10年後、国際政治のキーパーソンの顔ぶれは、どのように変化しているのでしょうか。そして、「富めることを許されなかった側」の意見を発信する人物が、どれだけの影響力を持っているのでしょうか。その時、「持続的な開発目標」は、社会を良くしているのでしょうか。社会全体が利益を享受できているのでしょうか。もっと言ってしまえば、オバマの"Change"は、なにを変えることができたのでしょうか。

土の中をほじくり回さなくても、資源はそこにある

毎度のことながら、枕が長くなりました。今回のメイントピックは、ここにあります。若干、上記とリンクする部分でもあるんですが、我々の金属業界は、有史以来、“開発”を通して、産業の発展に寄与して参りました。ただ、正直なところ、今後の開発環境が“持続的”であるかと問われると、それは否定せざるを得ません。それは、脱炭素というテーゼを掲げた場合、我々の業界は、化石燃料を直接的、間接的に大量消費する前提の生産手法しか持ち合わせていないからです。

資源開発手法にしても、有史以来、連綿と受け継がれてきた「ヤマを掘る」という行為を前提にしています。つまり、「長い間、同じようなやり方でやってきた(変革する必要性が薄かった)」のです。言い換えると、それが王道であり、これまで同業界が被ってきたどんな“進化圧”にも耐えうるほどの盤石な収益構造が、そこに大きく横たわっているということではないでしょうか。

また、これは、筆者の勝手な想像でしかないのですが、「ヤマを掘る」という行為が“山師”というコトバを生んだように、資源採掘には物理的な危険性と財務的なリスクに常に晒されています。その一種の「近づき難さ」が、同業界の特殊性を生み、ブラックボックス化し、リサイクル・資源再生業界にも共通する事象ですが、「あの、なんだか危なそうで、汚い仕事は、アイツらに任せておけばいい」といった思想に結び付いています。あくまでも、筆者の妄言です。

静脈なくして、動脈あらず

そんな、過去と未来を見据えると、我々が直接的に関与する金属再生業は、これまでもこれからも、社会経済を支える基幹産業と言っても過言ではないし、使い古された言い方をすれば、生産活動を身体とみなしたときの“静脈”であります。そして、左記で言及した通り、鉱山開発からリサイクル・資源再生業界まで、現在、大きな変革を余儀なくされています。当業界の人間は、「中国が雑品を買わなくなった」ことを悲観的に捉え、「どうしたら、今までの“汚い”、“雑多”な商品が売れるか」ということで頭がいっぱいです。

しかしながら、“それ”を金属の原料としてみつめ、「どうすれば付加価値をつけて売ることができるのか(=どのようにして、単一の金属にわけるか)」というノウハウを持った人間にとって、昨今の悲観ムードは、まったく逆の意味を持ちます。極論を言ってしまえば、「雑なモノから“雑さ”と“異物”を排除する」ことで、ベースメタル相場に最も近い値段で売れるわけです。そして、その金属品位精度が高まれば高まるほど、競合に対しての優位性も向上します。つまり、競合との価格競争に勝てる可能性が出てくる。さらに言ってしまえば、金属品位精度の向上の先に、グレードを変える(格上げ)ことができるようになれば、付加価値率の大幅な改善に繋がり、もはや同じ土俵で勝負する必要性も無くなるのです。

いわゆる、“ウワモノ”と呼ばれる品質から乖離すればするほど、対ベースメタル相場のスクラップ販売単価の料率は下がります。これは、当然の理(ことわり)なのですが、今現在、足元で起きている“変革”の矛先は、その料率自体にあります。卑近な例でいえば、いわゆる“ピカ(銅)”とか、特号銅線などと呼ばれるウワモノと、それ以外のグレードスクラップの値差は、かつての水準と比較すると、拡大していると聞いています。つまり、最終需要家のスタンスとしては、「高く売りたいんだったら、誰が見てもわかる、良いモンを持ってこいや」ということになります。この辺のハナシは、ひとつふたつ前の投稿で言及しています。そちらをご覧ください。

今回、お伝えしたいことは、ただひとつ。

みちるリソースは、資源開発ディベロッパーとして、身近な潜在資源を金属原料に仕上げることに邁進してゆきたいと思います。これまで、なかなか当方の具体的な事業を発信できずにいましたが、今後、継続的に「これをこうしたら、こうなるんじゃないか」だとか、「これをこうしてみたら、こうなった」的なハナシも積極的に発信してゆくつもりです。巷のスクラップ屋さんのように、大きなカタログをつくって、「これは、いくらで買います!」的な商売はできませんが、「こんなもん、売れるの?」的なご相談ありましたら、なんなりとお申し付けください。「環境がどうのこうの」といったハナシを前提にしながらも、持続性のある商売として成立するよう、最善の提案をします。

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