きっと、その先に、なにか明るいものがあるだと信じながら

この停滞感、本当にマズいなあと切実に思う、そんな今日この頃。いっそのこと、「底を打つ」とか、そんな柔な発想ではなく、「底を壊す」ぐらいの荒療治が必要だったのではないか、そのように思うわけです。相場のハナシです。

某北欧の国、"集団免疫"を獲得するために、「オイラ達は、なんもしなくても、大丈夫さ」などと強がっていた方々がおられましたが、結論としては、「やべえ。きちんと対策しておけばよかった」という事態に陥っているわけです。実際に、彼らがやっていたことは、対策でもなんでもなくて、単なる"驕り"であったわけです。確かに、彼の地では、CCR5受容体に遺伝子異常が見受けられ、HIVウィルスに対して耐性を持つ方々がおられます。数々の流行病(はやりやまい)を克服してきた歴史がありますので、「オイラ達は…」という短絡的で刹那的な思想の元、「なにもやらなかった」わけです。

毎度の下世話で恐縮ですが、オンライン・ゲームというものにハマっています。現実逃避です。もはや、"ビデオ・ゲーム"という概念は存在しません。おそらく、若者世代にとって、「もう一人の自分が、もう一つの世界で、普段できないようなことを、思いのまま実現するための空間(=サード・プレイス)」が、現在のゲーム空間なのでしょう。かつての我々世代のそれは、箱庭の中で、「ペシペシ殴り合って昇竜拳」でしたが、若者は「サブマシンガンでビクロイ(Victory Royale)」です。

サイバル・ゲームの神髄

筆者が入れ込んでいるのは、『フォート・ナイト』というゲームです。その醍醐味のひとつに、「面識もない人とチームを組んで、オンライン上でサバイバル・ゲームができる」ということが挙げられます。端的に申し上げると、ひとつの目標(最後まで生き残る)に向かって協力し合うだけのゲームです。若干難しい言い方をすると、「ラフ・コンセンサス(暗黙の合意形成)の芯を捉え、オノレの役割を愚直に全うすること」が求められるゲームです。

商売にも通じる部分かと思われますが、チーム内にリーダー・シップがなければ、他のチームに喰われます。そして、必ず、独力で、腕力だけで「なんとかできる」と過信してしまうチーム・メイトが出現します。ご察しの通り、当然のことながら他のチームに喰われます。また、同じようなレベルの人間が、金魚の糞のようにくっついているだけのチームも、喰われます。仮に、技術レベルの高い連中だけでゲームに臨んでも、ある水準にまで達すると、淘汰されます。

なぜ、そのような事態に陥るかというと、実際の戦場とは違い、コマンダーとソルジャーが同一(商売においては、プレイング・マネージャー的な役割)であり、具体的な戦略・戦術が明文化されていないために、アクションのひとつひとつが個々の判断に委ねられているということです。言うなれば、「間違った行動をすれば、なんらかの制裁を受ける」こともないし、「ゲームが終われば終わりの刹那的な関係」なのです。だから、同質のチームは「同じ視座で、同じ方向を見て、無責任にガチャガチャやって、やられる」のです。

どうやったら、勝てるようになるか

一方で、強いチームの特徴を三つ挙げたいと思います。まず、「利他的である」ということが、大前提です。困っている仲間がいれば、援護する。怪我をしたら、手当をしてあげる。次に、メンバーそれぞれが、「要所要所でリーダー・シップを発揮する意思がある」こと。これは、エゴイスティックに、押したり、引っ張ったりすることではなく、他者のちからを「引き出す」ようなイメージだと思います。

最後の特徴は、「それぞれが文脈を的確に読み、時には、それを適宜書き換えることができるか」ということにあると考えています。要は、臨機応変に動くことができるかということです。「他の人は、ここに行くだろう」とか、「こうやったら、あの人も動きやすいだろう」という類いの"思いやり"です。そして、洞察を深めていく中で、危険が迫っていると感じたときに、他者に対して「このままでは、危ないよ。こっちへ向かった方が、安全なんじゃないか」と、新たなストーリーを提起することで、そのチームの運命が分岐するわけです。失敗するかもしれないけれど、成功するかもしれない。結果は、わからないけれど、停滞したまま、負の連鎖に呑み込まれるよりは、逐一の小さな対策を積み重ねたチームは、間違いなく強い。

翻って、我々の業界

枕が、だいぶ長くなってしまいましたが、筆者の言いたいことは、こういうことだと思います。暗中模索の中、「同質社会に固執し、集荷量(売上)至上主義にひた走ること」は、業界全体のマイナスになりかねない、ということです。

市場としてはそれなりの規模ではありますが、一方で蓄積量の伸び率は頭打ち傾向にあることから、今後、国内の金属リサイクル市場は横ばいあるいは縮小に向かうと予想されております。

関西の超有名リサイクラーである、巌本金属の巌本博社長は、このように述べられています。

参照:三井住友フィナンシャルグループ『Ecological Company Special ~環境経営の現場から~

1960年の累計鉄鋼蓄積量は約1.1億トンでした。その後、高度経済成長によって10年後の1970年には約3.4億トンとなり、この間の鉄鋼蓄積量の平均年間伸び率は過去最高の11.6%に達しました。その後も累計鉄鋼蓄積量は増大し続けますが、平均年間伸び率は1970年代には6.8%まで落ち、1980年代は3.8%、1990年代は2.5%と低下の一途を辿り、直近の数値(2012年末)では累計鉄鋼蓄積量が約13億トン、年間伸び率は0.4%にとどまっています。一般的に、鉄鋼蓄積量の2%前後が毎年鉄スクラップとして発生するといわれておりますので、13億トンの2%となる2,600万トン前後が鉄スクラップの原料になるということです。

未だに、「どうしたらいいのか」という"答え"は見つかりませんが、"最適解"としては、「最後まで生き残る」ということを考え抜くしかないですよね。他人に依存せずとも、なんとなく幸せな毎日が過ごせたら、見事なビクロイ(Victory Royale)です。途中、茨の道もあるでしょうが、小さな積み重ねを大事にしてゆきたいと思います。きっと、その先に、なにか明るいものがあるだと信じながら。

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