リサイクル業界って、いびつで不均衡

「来期は、増産予定なんで、購買数量を増やせる"かも"しれません。また、そのときには、御社にご協力いただきたいと思います。」

あれから、どれくらいの月日が経ったのでしょうか。実際に、我々の業界のなかに「メーカーへのスクラップ原料の"増枠"を達成した」ないし、「在庫が適正水準で推移している」という会社さんはありますでしょうか。市中一般でも、「仕入れも販売も、全然問題ないよ」といった風情の業者さんは、ないと思います。それだけ、商売を行う環境として適正でない状態、逼迫した状況が続いているのだと認識しています。

巷では、今般のウィルス騒動が、どこそこの国から持ち込まれただとか、いや、そうじゃなくて、もともと、あの国の研究所のなかにあったものが、何者かによって、外部に持ち出されたのだなどと、色んな情報が飛び交っています。こういった類の話は、要は「外交上の駆け引きのツール」ですから、最終的には、"原因"というものは、いかようにも改変されるものです。

誰がトランプ大統領を予想したか

これまでにも、散々申し上げていることですが、「我々はポスト・トゥルースの時代に生かされている」ということでして。ほんの数十年前の、いわゆる"識者"の方々に、「近い将来、ドナルド・トランプさんが大統領になりますよ」などと申し上げたときに、彼らは一体どのような反応を示すでしょうか。まともに取り合ってくれることはないでしょう。それぐらい、我々の生きている世界というのは、予測が難しく脆弱であり、そうでありがらも、ある時分においては、非常に強固な塊にもなり得るのだと思うのです。

本来であれば、「なにが、今回のウィルス騒動の原因なのか」と問う場合、決して「誰が」で始めるべきでないし、憶測で物を言うことは、全くの意味をなしません。極論を言ってしまえば、「自分のせい」なのです。

どこに行っても、安くて美味しいものが食べられることに幸せを見出し、電話一つでなに不自由ない生活を送れることにあぐらをかいている。自分が自由気ままに海外旅行できているのに、「あの国の人たちはダメだ」だとか、「だから、あのとき、封鎖しておけばよかったんだ」などと嘯く。それは、感情を抜きにしたら、「フェアではない」のです。グローバル社会においては。かつて、一世風靡した「地球はみんな平等」だとか、「地球はひとつしかないんだから、みんな、エコロジーに生きようよ」っていう思想は、そもそもどこかに無理があったのかもしれない。ものすごく、ユートピア的な発想であり、もしかしたら、究極のエゴイズムだったのかもしれない。

スクリーンのなかの現実

要は、これまで「地球のみんなで仲良く、ひとつの世界をつくろうよ」と楽観的に考え、その負の側面をないものとし、それに迎合していた我々に落ち度があったわけです。何年も前から、「パンデミックが来る」と言われていましたが、誰もその恐怖を日常に落とし込むことなどせず、その存在を一種のホラームービーのように扱っていました。四角い画面に投影された"非日常"の世界が、まさか自分の世界と交差するとは思いもしなかったわけです。

我々の業界においても、「うわ、中国、雑品やめるってよ」といった焦りから、「まあ、どうにかなるっしょ」といった流れがあり、「あのさ、マレーシアがなんとかしてくれるみたい」といった安堵感が、なんとなく、業界人の懐を温めていたわけです。しかしながら、まさかの「やべえ、どこに輸出するとか、そんな話以前に、経済がやばい」といった事態にまで発展してしまった。ここまでくると、既存のフレームワークの中では、打開策は"梨の礫"となります。

枠に囚われない

トランプさんが大統領になったことを未だに信じられないと思う人間がいる一方で、サンダースさんが大統領になることを応援する人がいることを信じられないと考える人間もいます。結局は、「我々は良くて、誰それは悪い(=二項対立)」という、全く同じフレームワークの中で生きているに過ぎないということです。それが、資本主義なり、民主主義の根本を成す"崇高な"考えなのだと思います。

一方で、結局のところ、「トランプもサンダースも、"同じ穴のムジナ"であって、やることといったら、彼らの支持母体の意向を粛々と大衆に押し付けること」だと考える人もいるかもしれません。オバマ政権が、高らかに喧伝した"We can change"運動の"WE"とは、果たして誰を指していたのか。なにがどのように変わったのか。彼が大統領の座におさまっていたときに、何発のミサイルを"敵国"に打ち込んだのか。そのようなことを考えれば、「誰が、なにをやろうが、結局なにも変わらない」と感じざるを得ません。

サヨナラいつか

今後、我々の地球、経済、業界にも、さらなる荒波が押し寄せることが予想されます。この、大きな大きなパラダイムシフト("潮目"と表す以上のインパクトがあると考えています)の波に、今までと同じ発想の仕方、生き方で対応できるのでしょうか。我々の業界のみにフォーカスした超ミクロ視点で俯瞰した場合、「物量至上主義」だとか、「商流至上主義」、「長老崇拝主義」って、今後も"サステイナブル(=持続可能性のある)"なのでしょうか。

いつか、売れなくなりますよね。いつか、相場が悪くなりますよね。いつか、あの人もダメになりますよね。いつかのいつかが、まさに今の現状ですよね。

この乱世の渦中、自分だったらなにができるか、こうやったら、産業自体がもっともっと盛り上がるんじゃないか、つまらないことでもコツコツ積み上げることで、商売の芽が、未来がつくれるんじゃないか。真剣に、そのように考えています。もっと言ってしまえば、「ゴミ(ゼロ)から資源(イチ)を生み出すことってセクシー」だと思います。絵空ごとの"エゴ"ではなく、お金になる"ゼロイチ"をつりたいです。そのためには、上向きにグルグル回りながら、利益を積み上げてくれる(=スパイラルアップ)"仕組み"づくりが必要です。仲間が必要です。フレームワークの改造が必要です。がんばります。真の意味での"まん丸リサイクル経済(=サーキュラー・エコノミー)"実現に向けて。

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