ここ数日間の違和感

得体の知れない感覚

LME Copperの相場とニラメッコしています。

ここ数日の動きは、本当になんだったのでしょうか。他の非鉄金属も同じように、絶妙かつ意味ありげな並走に努めております。得体の知れない“なにか”が、ゴソゴソと地中を蠢いているような感覚、これはなにを意味するのでしょうか。

New York Timesの意見記事(11/30付ウェブ版)に、"Impeachment"、つまるところの「大統領に対する弾劾」の是非が言及されている。これまで、ある程度楽観視されてきた北朝鮮との関係性に、ここにきて劇的な変化(大方、悪い方向にであろう)がもたらされる可能性は、大いにあり得る。

こうあるべきという幻想

昨今、日本全国のお茶の間を楽しませている角界ネタにしても、大衆は、相撲とはこうあるべき、横綱とはこうあるべき、モンゴル人(外国人)はこうあるべきといった「べき論」に終始執着し、ことの本質から目を背けているような気がする。

この問題っていうのは、そもそも日本国民を巻き込んで、論争を起こすほどの意義・意味はないと思う。もっと言ってしまえば、八百長相撲が「善か悪か」と問うことに“愚”があり、自分たちは神聖なルールに則り、公正な勝負をしてきたんだと嘯くことに“驕り”が見え隠れする。そして、それを「お前らも、俺らと同じようにやれよ(俺らが絶対に正しい)」と押し付けることで優位性を引き出そうとする、“山猿文化”がそこに横たわる。それは、お互いの足を引っ張り合うだけで解決にはならないし、どちらか片方が「参った」というまで消耗戦がつづく。

今回の騒動にしても、頑なに「己の相撲道」に心酔する貴乃花の“驕り”をここまで囃し立ててきたのは、相撲協会であり大衆である。外国人パワーを必要とし、横綱に昇進させたのも、相撲協会であり大衆である。個人的には、文化論を語る上で「〜は、こうあるべき」という理想が一人歩きして硬直した段階で、その文化は偏屈でつまらないものに成り下がってしまう可能性が大いにあると思う。色んな人の思惑、思いに押しつぶされてしまうからだ。

もし、本当に"The Winner Takes It All."的なガチンコ勝負を良しとするのであれば、今この瞬間、勝ち続けている横綱の意見が最優先されるべきではないか、そう考える次第です。

過去の栄光にしがみつくだけが能のポンコツが、訳知り顔で権力の中枢で踏ん反り返って、うまい飯を食える世界は、いずれ崩壊する運命にあると考える次第です。

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